なんか日本のフェミは日本特有の「あいつ、ズルい」が思想の根幹なんだよね。
日本社会って、あいつは儲かっててズルい。あいつはイケメンでズルい。努力とか経験とかは無視して、結果だけ見て、ズルいズルいという。
結果的に、足の引っ張り合いになる。見ろよ。あいつズルいあいつズルいって言いまくった結果、皆貧乏になってきた。
だから日本のフェミで、男性は既得権益! くれ! だってズルい! って思想ばかりだ。
だから、責任の話が出てこない。
あの人が儲かっているのは、若い頃から努力していたからかもしれないのに、ズルい! の一言で片付けるように、ズルい! くれ! でおしまいなのだ。
思考停止だ。
ズルいって幼稚園生がよくいうけど、まさに幼稚園児レベル。
イスラエルの女性には徴兵制がある。
北欧でも、「なぜ女性には徴兵がないのか?」論争があった。
理由は、「社会の防衛、国家の防衛に女性は要らんというのか? 馬鹿にしてんのか!!!」と女性たちが怒ったからだ。
日本女性はそんなものには興味がない。
世界一現金で即物的な女性たちだからね。
自分がきもちいこと、自分が儲かることにしか興味がない(女性の理系研究者がいないのも「外界」に興味がなく「自分自分」という幼稚園生思考だからだと思う)。
レディーズデー批判がほとんどないのも、根っこが「ズルい」にあるからだ。レディーファースト批判がないのも一緒。
「欧米人はレディーファースト」といって憚らないやつと、フェミの構成員がダブるのは、彼女らが「女性解放」ではなく、「ズルいかどうか」しか考えていないから。
彼女らの中で思考は一貫している。
単に、「ズルい」では大人の世界で筋が通せないから、フェミを名乗っているにすぎない。
一向に女性議員、女性管理職が増えないのもそう。
彼女らは儲かっているし、偉そうで、ズルいと思ってはいるけど、だからといって、「じゃあ、おまえ管理職な!」と言われると困る。
だって、給料はあがるけど、必然的に「責任」が生じるのだ。
責任があれば高給なのはあたりまえ。何もズルくはない。
だから、なろうともしない。
男性の平均給与が高いのは、責任ある仕事や、危険な仕事(足場職人は30歳で1000万という)をしているからだ。何もズルくはない。
逆に言えば、公務員なんて、女性は管理職にならず、空残業をつけ、50台でも生理休暇を取るんだから、男から見て「ズルい」と思うが、どうだろうか??
まさに、フェミが求めている労働環境そのものだろう。
実際の残業などを考えると、課長よりも主事のおばさんの方が高給取りになってしまう世界だ。
男女平等が進んだオランダではレディーファーストは死んだ。
それどころか、女性扱いは差別であるので、男性だから力仕事みたいな区分けも差別である。
なので、オランダ女性は日本の女のように科を作って媚びても、あまり男性が助けてはくれないのだ。
え? だってそうだろう?
男と同じように扱うわけだから、荷物が多いなら相手が男でもそりゃあ持ってあげるけど、少しの荷物なら自分で持てよ。となる。
おかげでオランダ人男性は世界一女性に優しくないとまで言われているらしいが、それがフェミの望む世界とはどだい思えない。
ズルいは結局、自己中、無責任、創造性のなさ、強欲、外界への無関心さ、と結びつく。
彼女らは「主語が大きい」が、これもまた女性特有だろう。
「みんな」というワードが日本語で頻出するが、英語であえて「Everyone」を使うだろうか? Weだろう。
Weなら、一体どこからどこまでか?
そして、少なくともWeにIは含まれているのだ。Weは一人称の複数だからだ。逆にEveryoneはIを含まないことが多いのではないか?
英語でもMCなどが呼び掛けるときにEveryoneと言ったりするだろう。
そう、英語の自然なWeでは自分に責任が生じる。
だから、フェミは「私たち」とは滅多に言わないのだ。「みんな」という漠然としたワード。「みんな言ってる」。小学生がよくいう。
え? おまえは? 俺は言っていない。
メンタルが本当に幼い。
しかし、これは男性側にも責任の一端がある。日本の男性は女性を優遇しすぎた。甘やかしすぎた。
たとえば、SNSなりなんなりで女あさりをした場合、「助けて」と言って来る女が多い。
これはある意味、殺し文句なのだろうなあと思うし、「前の彼氏にDVされていたところを助けて結婚した」という話。
よくきくのだが、私はどうも胡散臭いと思っている。
女は気に入らない相手を親の仇のように言うことが多いから、前カレを事実の何倍も誇張して酷くののしっているだけだろうし、きっと自己中発言を繰り返して、前カレが怒ったのをDVと表現しているだけだろう。と思う。
私は困っている人を助けるのも躊躇する。
なぜだろうか。
もしかすると、負けず嫌いの人で、助けなどいらず自分でしたいかもしれず、そうだった場合、手を貸しましょうか? の一言すら相手を不快にさせる。
人間、案外、自助でしたいものだと思う。手助けは本当に困っているときは欲しいが、少しくらいならなくてもいい。
よく老人扱いされて怒る老人。
いるだろ? できることは自分でしたいじゃない? たとえ時間がかかっても。
で、そりゃ車に轢かれた現場とかなら、そりゃあ困ってるだろうよ。そういうときは助けに行く。
でも、微妙なケースは迷う。
こういった思考を「相対的思考」と私は呼んでいるが、フェミにはこれが欠如しているし、日本の男は女とあらばダボハゼ的に援助しすぎた。
中韓の女ははたで見ている限り、日本の女よりも明らかに気が強い。
中国人が日本嫁を欲しがるのもわからんでもないが、家庭では無視したり、いやがらせしたり、愚痴とdisしか言わないというのを知らんのだろう。
日本の女は気が弱いわけではないだろう。
単に男性側の需要的にそういうのがウケるから、そういう淘汰圧がある。
んで、そういった淘汰圧こそ男女平等の障害だと思うが、誰も気にしない。
勘違いフェミ男性は、女を援助することがフェミだと思っている始末だ。ちがええよ。そのおまえの甘やかしこそが癌だよ。
男がフェミニストになりたいなら、やることは一つ。甘やかすな、だ。