憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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レイシズムと貧困

 世の中の問題の99%は金の問題(正確には金額)だが、

子供がアジア人と仲良くなるのを心地よいと思うか?

 貧しい地域が基本的に反アジア的である。
 アジアに近いかどうかは無関係だ。バルト三国は接点ないし。

 金がないと寛容さも失う。
 例外はドイツ人で、ドイツ人が差別主義者なのは文化的なものなのだろう。歴史がそう言っている。
 またフランスやスペインだと日本人で現地の重要ポストについていたり、勲章もらったりしているが、ドイツではきいたことがない。

 かつてのヨーロッパがイスラムへのヘイトで満ちていたのは貧しかったからだ。今は逆だが。

哺乳類は昆虫や鳥類と比べ古いスタイルの動物である

 哺乳類は昆虫や鳥類と比べ古いスタイルの動物である。

 このため、哺乳類の社会は鳥や虫に比べて単純で面白みを欠くものとなっている。

 たとえば、鳥の求愛行動は多種多様であるし、形態もさまざまだ。虫は真社会性をもつ。
 が、古い哺乳類という動物は、暴力的に強い雄がモテる・偉いという古い原則が維持されている

 人類はどんなに自分を万物の霊長といおうが、この原則は本能なので維持されている。

 弱男は、女は暴力的な男が好きだというが、これは非常に正しい。

 そもそも、鳥類や虫のように、ディスプレイによって雌を取り合わないし、雌の方が主導権を持つ種は何百もあるうち、数種にすぎない。

 哺乳類では雄が大きく、雄が主導権を持ち、雄同士の争いは暴力で決まり、勝った側は雌の意思を無視して交尾できることが多い。
 雌もまた、弱い雄との交尾は強烈に拒否するが、強い雄との交尾は基本的に拒否しない(強い拒絶を示さない)。
 また、鳥類のように雌側の嗜好も雑多ではなく、強さという単純な軸で決まる

 女が男を煽る行動をあえてとる(自分からは交尾をせず、相手を挑発して交尾へ持って行く)のも雌に主導権がないことの現れだろうし、男を怒らせることでその暴力性を確認しているのだろう。
 実際、怒鳴らない男の方がモテない(結婚には向くと言うだろうが)。

 社会もまた、蟻や蜂のように生まれながらに決まっていないが、事実上、決まっている。

 暴力的に強い雄が基本として支配者になる。
 もっとも、高等な哺乳類だと、筋肉だけでは決まらず、知性も大事だが、これは「効率よく暴力を行使する」知性のことだ。
 これは狩りのうまさにも繋がるだろう。
 蜂の社会や蟻の社会では、生まれや育ちで社会の構成が決まっているため、革命はない。

 しかし、暴力で担保される哺乳類社会は、暴力によって革命が起こる。

 老いた雄ライオンは若い強い雄ライオンに雌を盗られる。

 蟻や蜂の社会ではそうではなく、交尾が終わった雄は捨てられる。
 それも最下層の働き蜂に。そう、社会ができているからで、だから蟻塚は数千年も存在し続ける(シロアリは昆虫ではないけども)。

 ゆえに、哺乳動物ある人間はどんなに理性や知性を発達させても、暴力への憧れ、服従を捨てることはできない。

 お金よりも本当に雄がほしいのは「暴力」である。これは現代社会では支配と呼び変えてもいい。

 優しい=弱男というのも、これは小柄なトドが雌のふりして雌と交尾する戦略に通じるものだ。
 強い雄に優しさは必要ない。横暴に振る舞っても、女は寄ってくる。寄ってこなくても、支配すればいい。

「お求めやすい」は誤りで、「お求めになりやすい」が正しいとか言う話をきいた。 これだから国語学はゴミなのだ

 「お求めやすい」は誤りで、「お求めになりやすい」が正しいとか言う話をきいた。
これだから国語学はゴミなのだ。

 どう考えても文法的には、求める+やすいの合成語である「求めやすい」に接頭辞「お」がついた丁寧表現である。
 これを「求め」と「やすい」にわざわざ分解し、個別に尊敬表現として、「お求め」+「なりやすい」とするなんて、ステップが多く、アホの極みである。
 「求めやすい」が二語だと思って使っているやつが殆どいない(=一単語だと皆思っている)からこそ、「お求めやすい」という「誤り」とやらが発生するのだ。

 形容動詞なんて馬鹿みたいな品詞分類をいまだにやっているだけのことはある。

 この世に形容動詞なんてものは存在しない(実際そんな品詞を設定している世界各国の国語学はない)。

 イ語尾活用の形容詞と、ナ語尾活用の形容詞の2種類の形容詞があると考えればいいだけで、形容動詞なんて新しい品詞を作る必要はない。

 また、「動詞」としているのも馬鹿の極みで、形態的には動詞的だが、機能的には「名詞」であり、英語ではこれをAdjective noun(形容詞的に振る舞う名詞)としている

 形容詞との違いはWikipediaによれば、

形容詞は「大きいである」のように「~である」をつけることができないが、形容動詞は「不謹慎である」のように「~である」をつけることができる。

 とあるが、もう開いた口が塞がらないほど馬鹿である。橋本は幼稚園児レベルの知能だったのだろう。

 どう考えても、ooki-iの活用がooki-kuで、hukinsin-naの活用がhukinsin-deなのだ。そう考えるほうがすっきりする。
 なぜ、「である」を一個の要素だと思うのか。「で」が「ある」とセットだと思うのか?

 おなじ「で」だからといっておなじものとは限らない。名詞につく接辞「で」とナ形容詞の活用語尾「で」は別ものだ。

 すると、すっきりする。

大きくある ooki-ku aru
不謹慎である hukinsin-de aru
猫である neko de aru

 文法というのはすっきりしていなければならない

 これは最初の文法学者であるパーニニ(紀元前の人だ)が実践したことだが、日本ではいまだに普及していない(外人への日本語教育では普及しており、アホの極みの国文法など参照しない)。

 歴史的経緯などうでもよく、実際にどういう風に文法が使われているのか? が大事だ。

 歴史的経緯を大事にするあまり、形容「動詞」などという噴飯物の用語をつくってしまう。

 日本語とは本来非常に簡単な部類の言語である。

 しかしこのラビリンスのように無駄に回り道した国文法のせいで、すごい言語に見えてしまう

 動詞の活用も実際はほぼ2種類しかない。
 何段活用がーとかいうのは要らない。
 国文学者は母音で考えることができなかったため、このようなことになった(英文法をまねしておきながら肝心の英文法的発想法が生まれなかったのも知能の低さを物語る)。

売る ur-u ur-a ur-i ur-e ur-o
着る kir-u ki-0 ki-0 kir-e kir-o

 不規則動詞も、来る、する、問うの三つしかない。

来る kuru ko ki kure koi
する suru si si sure siro/seyo

問う ->過去形がtottaが正式だが、通常、tootaとなることが多い。 

 これにしても、英語のようにまったく別の変化(be are isのような)ではなく、規則動詞とほぼ変わらない。
 また、形容詞には不規則なものはない。

 後置詞にしても、英語の前置詞のように潤沢ではなく、常用するのは「を」「に」「から」「へ」「で」「と」「まで」しかない。

日本語は難しいか

 日本語は難しいか。
 むしろ簡単な部類であろう。
 まず発音は簡単な部類だ。これは確定している。

 文法も例外がほぼなく、助詞をくっつけていけばよく、語順やイディオムの憶えゲーを強要されることもない。

 語順や主語を明示する必要もない。時制も二個しかない。

 文法も間違いなく簡単な部類だ。

 助詞の数も少なく、英語は多い部類だが、英語よりも少ないロマンス語系列と比べても少ない。
 「は・が・を・へ・は・から・で・と」を憶えれば99%カバーできる。

 憶えることが圧倒的に少ない

 敬語や丁寧語も、英語にもある。ない言語などない
 日本人がネイティヴでないから気づかないだけで、どの言語にも男言葉女言葉、敬語、謙譲表現がある。

 実際かなり流暢なガイジンも敬意表現がイマイチできていないのは、日本語が難しいからではなく、各言語において文化的文脈も要求される敬意表現は難しいってことで、日本語特有の事例にはならない。

 むしろ語尾や語句の入れ替えで簡単に表現できる分日本語は簡単だ。
 英語の場合、センテンスや言い回しで表現せねばならず、教育の有無に左右されうる

 境界知能でも丁寧語が使えるのは日本語くらいだろう。

 アメリカの境界知能は過去形と完了形を区別できない(ネイティヴでも小学校低学年くらいまでは区別できないという)そうだ。

 だから階層による言語の違い(教育格差)が日本語にはない。
 どの言語も喋り方で階層がわかるのだが、日本語では生活保護世帯なのか年収1億円なのか、日本語のしゃべり方だけでは判断できない

 また日本語は母音が多いせいで発話速度が遅く、同一時間内に伝達できる情報量が少ない。
 これを補うために主語を省略する文法が発達したが、このせいで相互理解に支障を来すようになった。

 この点では「難しい」かもしれない。

 しかし、難しいのはこの点くらいしかない。

 また日本語以上に短時間あたりの情報量が少ない琉球語では主語は明示しないのがデフォルト文法になっているので、主語省略に慣れた日本語話者でも琉球語(沖縄弁ではない)の理解は困難を極める。

 漢字も難しくはない。むしろ表語文字なのでわかりやすいとさえ言える

 英語も結局はスペリングを憶えることになる。
 フランス語由来の単語は余計なhが入っていたりして、イラつくし、漢字仮名交じり文が取り立てて難しいわけではない。

 アラビア語なんて母音振ってないから(子音しか書かない)ノンネイティヴには大きな壁が立ちはだかる。

 むしろ書いたとおりに読むというドイツ語やイタリア語が珍しいケースだ(チベット語なんてほぼすべての単語が書いたとおりに読まないというふざけた仕様だ)。

 では日本語は簡単なのはわかった。
 表現の幅が広いだろうか?
 狭い。

 英語や中国語のように罵倒語が全然ないし、形容詞の数も少ない。
 抽象語句はほとんど英語か漢語由来で乏しい。
 日本語ラップがギャグにしかならないのは、そもそも表現の幅が狭いからだし、575なのも、それ以上長い文に日本語の表現力は耐えられない。
 韻の問題ではない。

 また表現力が広いのなら、西洋語を訳するのに漢語を使う必要はなかったわけだ。

 語尾が豊富というのも、嘘だ。

 「じゃ」という老人語を実際に使う人はいない。
 実生活で「にゃ」と語尾につけるやつはいない。フィクション日本語である。
 それが許されるなら英語だってどうにでもなる。
 主語だって、フィクションなのだから、英語だってIではなく、似非ドイツ人がIchだけドイツ語風に言ってもいい。

 もちろん日本語よりも表現の狭い言語はたくさんあるだろう。しかしながら、文明語、先進国の言語としては、狭いと言わざるを得ないと思う。

 日本語は音も文法も簡単な部類で、記述は若干難しいが文字種が多いだけで記憶力のよい人間には足かせにならないし、フィクション日本語がゆるされるなら、ほかの言語もどうにでも変な言い回しはできるので表現の幅が広いとはいえず、言語の抽象度が低いため哲学表現に難がある(多くの日本人が勘違いしているが、抽象=曖昧ではない)。

 難しいとすれば、音声伝達の便宜上発生した主語省略がコミュニケーションを阻害する点だが、これはネイティヴも困惑するケースが多く、言い逃れや責任回避「そうは言っていない」「誰とは言っていない」に悪用されている。

 私は英語が少しわかるだけだが、英語の小説を読むと英語の表現の幅に驚く

 日本語ではこんな表現は出来ない、と思うことが多いが、逆に日本語の表現を英訳するのが困難というケースにはほとんどあたらない。

 川端康成の有名な一説も、英訳困難と言われるが本当だろうか?
 誰がどう考えても、

 (電車が)国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。

 の意味なので、主語省略があるだけで、至って普通の文である。これを特殊な文と思うことが間違っている。

ぼっちちゃんを貧乳にしたのは英断

 アニメが原作を上回ることはほぼないが、きらら系は例外であり、けいおんの時代から原作をアニメが凌駕してきた。あいうららき☆すた(きららではないが)、ひだまり、あげればきりがないほどだ。


 ぼっちざろっくもそうだ。アニメが格段によくできている

 その中でもよくやった、という点の一つが、ぼっちちゃんの貧乳化である。
 これによって、ぼっちちゃんの「ぼっち」がより明確さを増した

 というのも、ぼっちちゃんは美人(おそらく結束バンドで一番美人)なのだが、性格とコミュニケーション能力がアレなので、まあ、男は寄りつかない。

 だが、原作のように巨乳だったら?

 そりゃ下半身に素直な「どしたん?」男がいっぱいやってきて、承認欲求の強い彼女は「男とセックスしまくることで自己欲求を満たす」という女らしい手段が使えてしまうのだ!

 そうじゃない。

 ぼっちちゃんはギター以外で戦えないコミュ障でなくてはあの物語は破綻するのだ。

 ギターしかないぼっちちゃんが周りに認められて成長していく物語だ。

 これがデカパイであってみろ。

 どしたん男とセックスで全部解決してしまうし、コミュ障を直すインセンティヴも生まれない。
 また、共学なのに美人でコミュ障の巨乳に男が寄ってこないのがおかしい。不自然だ。

 たいていの男はセックスできればいいので、コミュ障の巨乳はむしろメリットしかない。やり捨てにしても心が痛まないし。

 だから、貧乳にして、性的な要素がない(ガリだし)状態にしたことで、ぼっちちゃんの残念度は揺るぎないものとなった。

国家コンテンツランキング

 現代のコンテンツ大国は日米の独走で、イギリスがかなり後方におり、そのさらにかなり後方に中韓で、そのほかは影も形もない。独仏がチラっと見えないこともないかな? レベルだが、ないに等しい。

 正直なところ、この5カ国で98%はカバーしてるだろう。間違いない。
 シェアで言えば米が60%日が35%韓が2%中が1%なイメージ。

 ここで、イギリス? と思ったやつ。

 イギリスは数こそ少ないが、保有コンテンツが鬼のように強いのがポイントだ。

 シャーロックホームズ、ハリーポッター、007、シェークスピア

 な?

 このタイトルに勝てるのは日米でもほとんどない。
 というか、007以外は日本のコンテンツで勝ってるのはないと思う。アメリカでも、ミッキーマウススターウォーズくらいじゃない? 勝てるの。

 韓国はマンファはいまいちだが、ポップスと映画が明らかに日本よりも強い。ゲームは最近下火(MMO全盛のころは強かったのに)だ。
 中国は原神とかドルフロとか、いままさにスマホゲーの覇権コンテンツを量産している。