憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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VTueberは中身の開陳がタブーなのはなんでか

 最近、ぐらちゃんにハマってしまった。

参考画像 a

 最初は外見だけが好きだったけど、声や歌が気に入って、配信も見てしまった(これまで全く見てこなかったわけではない)。

 私はVだけではなく、生身のYouTuberもそうなのだが、ぎゃーぎゃー喚いて不快で基本嫌いなのだが、さめちゃんはぎゃーぎゃー言わないのが好感がもてた。あと笑い声が可愛い。

 で、うっかり中の人を調べてしまったが、後悔した
 中の人がブスだったとか犯罪者だったとか、そういうことじゃない。

 そうではなく、私の中ではサメちゃんの外面とあの声と内面は結びついているのだ。この人じゃないと中の人のことを思ってしまう違和感。

 これが声優との違いだ。

 声優が演じるキャラはあくまでも、他の創作者がつくったキャラクターだ。そこにアドリブはあれど、声優の意思はない。あるのは原作者や音響監督の意思だ。

 しかし、Vの場合、デザインはデザイナーがしているとは言え、そのガワの言動は特定の一人にしか許されない。キズナアイが分裂して失敗したのはそういうことだ。

 アニメキャラは原理的には誰が演じてもいい(アニメではなくてもいい。ジュリエットは誰がやってもいい。ロミオもだ。)が、Vの場合、演じている中身と外見は一対一で結びつく

 Vの場合は、一対一で結びつくので、誰が演じてもいいことにはならない。他の人がサメちゃんを演じた場合、それは「ものまね」になる

 Vは一個人に近い形で認識されている。

 だからこそ、中の人の本当の姿がエラーになってしまう。

 ひとつの魂(精神)が二つの外見を持つことは原理的にない

 私はだから後悔した。サメちゃんはサメちゃんの魂(中の人)とサメちゃんの外見が結びついているはずなのに、こいつは誰だ? という認識上のエラーだ。

 だからVは中の人の公開が基本許されない。

 中の人が有名人で、あとからVのガワをかぶる場合、これは仮装にちかいなまはげの中身が近所のおっさんだってことはみんな知っているし、会合で今年のなまはげ役が決まるのだ。

 しかし、多くのVは最初にVの姿で現れる。
 最初からなまはげなのだ。

 なはまげには中身があるのはわかるが、始終なはまげ姿だったら、もうその人はなまはげと認識されるだろうし、いざなまはげの衣装を取ったら、それまで何年もなまはげとして接していた人は困惑するはずだ。

 だから、サメちゃんはサメちゃんであってほしい。可愛らしく踊るサメちゃんはサメちゃんの外見であってほしい。それは交換可能ではないんだ!
 もっとも、モーションキャプチャーだれたダンスシーンを本人(本人とは? という観念的な問題があるのだが)がしているとも限らないけども。

 自然状態では、外見と中身は結びつく。これはもう人類の認識上のエラーだろう。いや、エラーというよりは、本来はそうあるべきものがそうではないことによって生じてしまう予想外のハングアップだ。

 多くの人はそう思っているんじゃないか?
 中の人がいるとは知っていても、それを見たくないのだ。

 アニメキャラの場合、中の人が不細工な声優だったとしても、最初からそのアニメキャラの魂と声優は結びついていない
 クソ演技乙で終わりだ。

 そもそもキズナアイからして、そういうデビューだったはずだ。
 中の人はいるのはわかりきっているのだが、AIという設定だったはずだ。AIなので中の人はいないという了解があるコンテンツだった

ja.wikipedia.org

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 ただキズナアイ輝夜月のような時代は設定は比較的遵守されていた。
 キズナアイはAIという設定を遵守した。

 だから魂とガワは一意に結びついていた。いや、そいう決まり事の遊びだった。なんでもそうだが、黎明期は暗黙の了解をわかっている連中だけで楽しむものだ。大衆化してくると、その暗黙は崩壊する。

 実際、今言った二人はも2024年4月現在、活動していない。

 私はこのキズナアイのスタンスに強い関心と未来を感じた一人だったが、こういうものにありがちなことに、結局キャバクラ化していく

 メイド喫茶なんかももともとはコンセプトを楽しむものとして始まったわけだが、最近はコンカフェと呼ばれ、ガールズバーまがいの何かであるようだ。
 コスプレしている以外に普通のガルバとの違いはあまりない。

 Vも一般の配信者と同じ傾向になっていき、しょっぱなから胃カメラかなんかの配信までするようになった。

 私はげんなりした。

 Vもそのまま一般の配信者と区別がつかなくなったというか、それだからこそ、魂と肉体の一意性はむしろ強まった

 キズナアイの場合、そういうコンセプトだったわけだが、一般の配信者のようにリアルな日常を口にすればするほど、ガワの可愛い女の子の配信と区別がつかなくなった。
 可愛い女の子が配信していて、それにガチ恋するというような完全にキャバやガルバのそれである。色恋営業だ。

 キズナアイはそうではなく、AIという設定を楽しむモノだった。

 サメちゃんは大衆化して以降のVなので、配信者と変わらないが、最低限の設定はたまに使ってくるのでマシな部類なのではないかとは思う。

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 彼女は胃カメラを公開したが、もうげんなりの極地だった。
 キズナアイの系統は死んだ!! 死んだんだ!!