ぼっちちゃんはわりとリアリティあるぼっちだと思う。
本当は自己顕示欲が高く、他人から褒められたいという欲望まみれなのに、自己評価は際限なく低い。
また、美容室にもいけないくせに、学校にギターを持っていくことはできるという羞恥心や行動力の配分がどこかおかしい。
家族は皆善人で、ちゃんと親から愛されている。
特殊な家庭に育ったわけではない。
奇声をあげたり、溶けたりするのも、コミュ障ゆえの奇怪な行動を戯画化したものと思えば、まあよくある。
ぼっちちゃん自体はどこにでもいるぼっちなのだ。
ゆえに彼女は共感されやすい、とは思う。
しかし、だ。
この物語がファンタジーなのは、ぼっちちゃんは少なくともギターに関しては独学で習得できるだけ、根っこのところでは気力があるということだ。
動画作成も自分で勉強したっぽいし、二時間かけ学校にも通っているので、なんでもかんでもやる気のない大多数のぼっち野郎とは異なる。
作詞だって一生懸命頑張っている様子が描かれている。
彼女は作中、頼まれると断れないと言っている(コミュ障の特徴のひとつ)が、ぼっちちゃんは実は逃げない。学校もサボらない(水風呂に入るが)。
彼女は前向きではないが、逃避癖はない。
たぶんだが、彼女の家は普通の家庭で、家に帰れば大丈夫という安心感が彼女を逃避に走らせないのだと思う。
実際、父親は彼女のことをよく理解しているように見えるし、面倒見もよく、決して娘を否定しない。
ついでに、ファンタジー度を高めているのが、ぼっちちゃんにはギターの才能があったことだ。
彼女の周囲は善人ばかりで、皆ぼっちの彼女にやさしいが、なんでやさしいかっていうと、ぼっちちゃんに才能があるからに他ならない。
虹歌がいるおかげでぼっちちゃんは社会復帰できたわけだが、彼女がそこまでしてくれるのは、ギターヒーロー=ぼっちと確信していたからだし、あとからはちゃんと確証も得ている。
この物語が際限なくファンタジーなのは、ぼっちちゃんにたぐいまれな才能があるということ。
だから、周囲は彼女をのけ者にしないし、その才能に気付いていない人は彼女を厚遇しない(クラスメートとか)が、気づけば態度も変わるだろう。キタちゃんはいい例なんではないか?
さらにだ、彼女は美人らしいし、原作では巨乳だ。
彼女がぼっちで、きもい(行動や発言はどうみてもきもい)のにいじめを受けていない様子なのは、彼女が美人で巨乳だからに他ならない。
男子は少なくとも、ぼっちちゃんをいじめることはないだろう。
ただ、数あるアニメ、漫画作品でもここまで度を越したコミュ障はなかなかいない次元だ。特に第一話とかひどい。
声優さんの演技も相まって、かなりひどい。
後半になると、このひどさは鳴りを潜めるが、彼女の成長を表しているのだろう。
この次元の違うコミュ障力によって、才能も美貌も多大なマイナス補正を受け、この物語は成立している。
なにせ、ぼっちちゃんが並のコミュ力を得たら、このお話は終わりだからね。
美人ソロシンガーで即デビューの、巨乳だから即売れだからな!!