戦後日本はメンテナンスフリーを目指してきた。
これは明らかに大量消費大量生産、そして使い捨て、というアメリカの経済思想に毒されていたし、いまもそうだろう。MOTTAINAIなどというものは、幻想の日本、いや、滝クリがプレゼンした五輪プレゼンテーションの中にしかないのかもしれない。
しかしながら、アメリカンはDIY精神が強く、いわゆるガレージでアレコレするという文化がある。
このあたりは、西部開拓精神や、広すぎる国土ゆえの物資のロジスティクスの至らなさなど、いろいろ影響はありそうだが、まだマシであろう。日本におけるDIYは老後の趣味でしかない。生活に直結しない。
で、私個人は比較的ものを取り換えることもあるが、気に入ったものはメンテして使う。
修理する楽しさ、メンテする楽しさというものがあるが、そういったものを日本人は忘却してしまったのではないか? とすら思う。
別に綺麗にする必要はない。無理をする必要もない。
たとえば、車ならドラレコも扇風機も自分で設置する。もちろん、雑な設置だが実用には困らない。ヘッドライトやカーバッテリーも交換する。
だからといって、タイヤ交換はしない。できないことはないが、これは怖いからだ。プロにお任せしたい。
パソコンなんかもノートパソコンのキーボードを変えたりして、10年くらいは酷使したりした。
文房具も使い捨て文具はあまり使っていない。ボールペンなんかも明らかにダイソーの使い捨てのほうがコスパがいい。
なにせ、200円で10本入っている。価格崩壊だ。で、メーカー品のリフィルは800円する。
私の祖父母の家では振り子時計が今も現役で、半世紀以上使用されているようだが、当然、ねじを巻かねばならない。電波時計のように電池を交換して終わりというわけでもない。
別に凝り性である必要はないが、メンテする楽しみはあっていいのではないか。