娘に魔法使いサリー(2期 1989~1991)を見せたところ、魔法使いではないといわれた。
きいてみると、娘の中では、魔法を使ってバトるのが魔法使いというイメージで、そりゃもちろんプリキュアの世界観であった。
私の小さい頃は、美少女戦士セーラームーン(1992~1997)がやっていた(プリキュアシリーズそのものがセーラームーンからインスパイさされた一連の戦う少女作品の生残り)一方、同時期にサリーのリメイク――正確には続編――もやっていたために、旧来の魔女っ子イメージと魔法(と明記されていないが肉体言語ではない力)で戦う女の子が併存していた。
しかしながら、現在ではプリキュアくらいしか全国区でやっている女児向けの魔法使い(正確には違うが、不思議な力)シリーズはない。
このため、娘にとって魔法はバトるものであって、空を箒で飛ぶものではなかった。
さらにサリーはもともと能力者であって、変身しない。
このあたりは、アッコちゃんとの最大の違いである。
もともと、魔法使いサリーは、アメリカのTVドラマ「奥様は魔法使い」(1964~1972)からインスパイアされている。
一方、アッコちゃんはコンパクトの能力頼みで、のちに続く変身する魔法少女ものの元祖である。
この辺の違いは大きかったと思われ、秘密のアッコちゃんの2作目のプロデューサー関弘美はサリーの後番組のアッコちゃんがあまり好きではなかったらしいが、私の母もそうだったようだ。
世界観の大きな違いが影響していると思う。
結果的に、サリーの系譜はほとんど絶滅しており、プリキュア、セーラームーン含め、アッコちゃんの系譜だ。
普通の女の子が変身するという路線は同じだ。
ちなみに、この手のアニメは、直撃の親世代のこどもが幼稚園生くらいになった頃合でリメイクするというのが一種のお約束のようで、サリー初代が1966年、23年後の1989年にリメイク(正確には2期)。
セーラームーンが1992年で「美少女戦士セーラームーンCrystal」が2014年で22年後。プリキュアも「Yes!プリキュア5」(2007)の続編が2023年秋から放送予定(16年経過)である。
話がそれてきたが、セーラームーンは海外ではフェミニズムアイコンのひとつである。
日本人はアニメについて大人が議論すること自体がはしたないという概念はいまだ根強いが、欧米では議論が盛んである。
逆に言えば、はしたないとされたからこそ、発展した(規制が緩い)のだろうが。
プリキュアはさらに一歩進んでいる。
前作デリパではタキシード仮面的なキャラクターが存在したが、タキシード仮面的な登場人物はほとんどのシリーズでおらず、恋愛描写もほとんどない。
結果的にこれは男児のファンを増加させ、他の魔女っ子シリーズが終焉する中、売り上げを保ってきた。男児にとって恋愛はつまらない要素だ。
幼稚園でもクラスに一人はプリキュアになりたい男児がいるのだ。本当だぞ。
だから大きなお友達は気に食わなくても、男の子プリキュアがいるのは理にかなっている。