日本は元々、先進国で一番学歴に人生が左右されない国、である。日本人は勘違いしているが。
アメリカですら、誰も知らないような大学の人間がコネだけで政府の中枢に入り込む、というようなことはかなり難しい。
韓国やドイツでは学歴で純然たる足切りが存在する。
これは世界の首脳陣を見たらいい。
成蹊大学のようなレベルで首脳になれる国は先進国では日本くらいだ。モンゴルの首相ですら、モンゴルで一番の大学を出ている。
これは誇ってもいいだろう。中卒でも首相になれる。誰でもなれる。
希望の国だ!
基本的に世界では、そもそも一定の学歴がないと評価の土俵にのぼることもできないが、日本ではコミュ力重視社会だし、がり勉は馬鹿にされる要素でしかない。
まあゼレンスキーはコメディアンだし、人気で政治家になることは可能だが、かといって、お笑い芸人や元スポーツ選手が大きな顔をして知識人として偉そうにしているのは、まあ、日本くらいだろう。
びっくりするぐらい専門家が軽視されていて、専門家の知識よりも松本人志の発言が優れているとされているのだ!
日本では山中教授よりもダウンタウン松本の方がずっと偉いのだ。
ゼレンスキーが偉いのは大統領に当選したからだが、日本では当選するまでもなくお笑い芸人は偉い。
かつては、末は博士か大臣かと、大学教授と政治家は憧れ、神童の目指すべき道だったが、戦後はそういうこともなく、大学教授は勉強しかできず、意味のないことに税金を使う嘲笑の産物(そのわりに一回の東大生を天才扱いするが)であり、政治家は金にしか興味のない馬鹿、とされている。
政治家の学歴がここまで低空飛行なのも日本の特徴だ。小選挙区のせいで、中卒高卒の、田舎のサル山の対象が当選するからである。
さて、これまでの日本の発展は、がり勉と嘲笑する理系人間たちのおかげである。
彼らを馬鹿にし、社会負適合者にしておくことで、研究だけさせ、特許やお金を要求すれば愛国心のない非国民と叩くことで、企業は利益をガメ、大きくなった。
さて、推薦やAOの増加は、まさに亡国である。
ただでえ学歴があまり意味をなさない日本社会において、ますます学歴は意味のないものになっていく。
さらに、これまで、コミュ障のがり勉は難関大学に受かって、なんとか理系の職業に就職し、そのおかげで日本は発展してきたのだが、そういった連中は一般入試以外では受かりようがないので、ますます、日本は技術立国としての地位を失うだろう。
これまでなら一般入試で合格してきたがり勉くんは碌な大学に入れず、ウェーイ学生が難関理系に受かり、理系企業に就職するが、碌な成果はあげない。一方、本来なら成果をあげたはずのがり勉くんは、コンビニ店員として一生を終える。そういう社会になる予兆である。
もちろん、AOや推薦は文系学科から汚染されていくだろうが、そもそも理系離れも深刻だ。
理系に波及するのも時間の問題だ。
今なら、東大卒といえば、少なくとも勉強はできたのだなあと思うが、10年後は、東大か。
先生ウケがよかったか、甲子園で優勝でもしたのかねえ、と思われるようになるだろう。
点数稼ぎのボランティア活動が増え、五教科を頑張るよりも部活を熱心にした方がいいという傾向も生むだろう。
勉強するやつは馬鹿という風潮は今後より一層強まる。
親の貧富で学歴がーとかいう馬鹿が後を絶たないが、学歴と年収がこの国では相関が低いので、気にする必要がそもそもない。
さらに、AIの進化もこれに拍車をかけるだろう。
10年もすれば、医者の診断はAI任せになる。
そうなると医者に必要なのは患者ウケという世界だ。
AOや推薦で医学部進学した医者が溢れるようになる。
彼らは高給をもらうが、頭がよくないので、AIに頼る以外の方法がない。普段ならそれでいいかもしれないが、もしものときには使い物にならないだろう。
実際、日本の組織はそうなっているので、震災だとか経済的凋落だとかピンチのときにトップ層はぼんくらで使いものにならないのだ。現時点で!
こうなってくると、きちんと勉強して大学にいくのは馬鹿らしく、パパ活でもしてコネクションを増やす方が正解になるかもしれない。
まじめに勉強をするやつ=コミュ障=社会不適合の関係式は加速度的に強度を帯びる。間違いない。
ますます、教養や知識、学問を馬鹿にする風潮が強まるだろう。
ただでさえ日本のwikipediaは悲惨。
なあ、日本は世界一雑誌が発行されている国だが、理系の教養誌は日経サイエンスとニュートンしかない。トラ技は教養誌ではないと思うので。
異常だと思う。
かつての受験戦争というのも所詮は一過性のブームにすぎず、日本人が勉学を貴んだわけではない。
日本人の大好きなブームだっただけ。受験戦争はタピオカブームと同じ。中国みたく1500年も受験戦争を続けているわけじゃない。
江戸時代も学問学問言ってはいるが、学者が尊敬されていたわけじゃないし、日本の学問は偉い人が逝ったことを理解すること学問だったので、それは学問とは言えない。単なる知識奴隷根性にすぎない。
だからゆとりブームにしてみたり、国はころころ教育トレンドを変えている。
韓国なんぞ、受験戦争状態がずっと続き、30年にもなろうとしているが、日本の受験戦争は10年程度のブームでしかなかったし、その戦争を勝ち抜いたやつで、上級国民になっているやつはほとんどいない。
これが全てだろう。
受験戦争は最初から最後まで特に意味がなかった。