紙の辞書ではなくネット検索をする。
少なくとも、30代以上はそうだろう。
しかし、最近の若い子はそもそもググらない。
チックタッカーとやらが言っていた。それでおしまいなのだ。
まあ、予想通りの方向だ。
水は低い方にしか流れない。
そのうちAIが提案する通り、ということに絶対なる。
これは技術の話ではなく、人間の精神の脆弱性の話であって、私が今の子なら、同じだっただろう。
しかし、自律型AIは否定されて久しい。
最近のAIは膨大なデータベースを背景にした単なるパターンマッチにすぎない。
かつてのAIはそうではなく、人間を機械で表現することを目指した。だから情報を創造することが求められたが、それは今のところ無理で、だから、膨大なデータによってパターンマッチングする方法になった。
最近の、AIが描いた絵というのも、AIは自律的には何もしていない。
たとえば、膨大なネコの画像をもとに、ネコをパターンマッチしているにすぎない。合成にすぎず、そこには1mmの新規の創造性も介在しない。
受け手が勝手に勘違いするだけだ。
彼の描いた絵は、何かしらデータベースに起源をもつのだ。
ひらめきがないのだ。
しかし、膨大なデータベースは最早人間の手で走査することは不可能で、だからAIの挙動がわからないのは、AIが知性をもっているからではなく、背後のデータベースを人間が渉猟することが不可能だからに過ぎない。
だから、アルゴリズムに細工して、AIを統制化に置く方法論は有効だ。
これからはAIの言う通りの時代になるだろうが、そのAIの言いざまは、誰かの恣意を含んでいる。中立では決してない。
AIが自律していない以上、中立はあり得ないのだ。
アルゴリズムなり、機械学習なりの重みづけをしたやつの意図が必ずある。
そういった連中に支配されるようになる、ということだ。
AIは少しも中立ではない。
これはアナログとデジタルの関係に似ている。
原理的にアナログ情報はほとんど無限である。
しかし、デジタル情報は人間が設定した有限なものだ。初
期のデジタル、たとえば、デジタル写真はドットがはっきりとわかり、それがデジタルであるのだ、とわかってしまった。
だが、1億画素なんてデジカメも最近ではあるが、実際に表示できるモニターがないのだが、もし、表示できるモニターがあったならば、そこにドットを識別することはもはや不可能だ。
また、アナログコンピュータは事実上計算時間が0だが、デジタルコンピュータは昔は遥かにそろばんより遅かった。
しかし、半導体の進歩ですさまじい計算速度となり、アナログコンピュータの利点はもうない。
ハイレゾのCDとレコードの区別をつけることができる人間は数えるほどしかいないだろう。
そう。
少ないデータから自律的に推論し、思考するAIと、膨大なデータベースを背景に単純にパターンマッチするだけのAIはそのうち区別がつかなくなる。
性能で言えばもちろん、推論や思考のできる前者が優れているし、膨大なデータも必要ない。
しかし、いまや、個人でも5000円で1TBのストレージを持てる時代だ。
また、6Gはすさまじい速度だという。
データの膨大さ、データの通信というのはボトルネックにならない。
かつてデジタルコンピュータが分解能が低く、計算速度が遅かったゆえに、そろばんにも勝てなかったが、半導体の進歩ですさまじい計算能力になったのと同じなのだ。
いまでも、コストでいえば、圧倒的にそろばんや計算尺が有利ではあろう。
しかし、誰しもが扱えるわけではないことを考えると、はるかに速い処理能力を持つスマホが3万円で買えると思えば、ほとんど大差がないといえる。
かつて、通信網なんてなく、1Mのデータも巨大だった時代に生み出されようとしていたAIと、現在のAIでは全く別ものだ。
今でも原理的には事実上無限の分解能を有するアナログ式の方が優れてはいる。が、実用性においてデジタル式がはるかに優れている。
もし、思考型AIがもし実現したとしても、思考型AIの思考速度はおそらく遅く、しかし、データにない創造的回答をしてくれるだろうが、世界中の情報からデータを引っ張ってくるだけのパターンマッチ型AIの方がずっと早く答えをくれるだろうし、ほぼすべての人間にとって、地球全土のデータをカバーしているなら、答えられない質問など実用上ないだろう。