今の若い子の間では、陰キャ陽キャというらしいが、私の世代では非リアとリア充の対立であった。
リア充の条件としては、彼女持ちがあげられるが、必ずしもそういう必要はなく、学校行事に真剣に取り組んだり、学校生活や私生活が充実しているやつがリア充である。オタクでもリア充は存在し得る。また、アニメやゲームのように一人で楽しむことが多い趣味は非リアの趣味とされた。ゆえに、オタクは非リア的であると見做されはした。
リア充はリアルが充実しているの略である。
なので、ファッションからリア充でなければならない。2000年代のラノベはだいたいそういう話で、最近似たような話に「弱キャラ友崎くん(2016年~)」というのがあったが、世代が違うのか、若干違和感があった。非リアの総決算的なのが2011年刊行開始の「俺ガイル」であるが、令和となっては最早古い。
リア充は2006年頃が発祥とされている。
ただ、私の中高時代にはリア充という言葉はなかった。そう、もう死語になったあの言葉が現役だったのだ。ネクラ・ネアカである。ネアカはとっくに死語だったが、ネクラは現役だった。
ネクラで焦点となっているのは、リアルの生活とかそういうことではなく、性格、雰囲気の話だ。ゆえに、ネクラ=オタクではないので、オタクはオタクと呼ばれた。当時はまだ、宮崎勉事件の影響は強かった。電車男があんだけ流行ったのも、まだ当時は被差別階級と見なされていたからだ。ラブライブ以降は、オタク=差別階級という印象はなくなった。というのも、今の若い子は誰でもオタク的傾向を持つようになったからだ。
大体の子はヴォカロをきく。だからプロセカは流行る。ミクさんがこの世に生まれた当時は、きもいものとされた。一部、マクロスの歌姫がリアルに! と喜んでいたが、潮流としてはニコ動でだけ流行っているようなものだった。ヴォカロ出身者が幅を利かす今となっては隔世の感があるし、当時は宮崎のことは少なからず皆知っていたが、今の子は知らない。
2010年以降は、陽キャ陰キャという区別になった。リア充非リアと異なり、生活の話は含まれない。ネクラネアカのように性格や雰囲気でもない。キャラクター性のことであるようだ。どうふるまうのか? 社会におけるロールプレイが重要視されているようだ。
世の中は自由になってはいる。制度的には。
しかし、面白いのは、むしろ画一化が進んでいるということだ。私の時代のヤンキーはまあ、見た目からしてヤンキーであった。入れ墨みたいな柄の裏釦というのが今もあるのか知らないが、よくヤンキーがつけており、学生服の裏釦は破損しやすいので、私もよくつけていた。なんでつけていたのか覚えてないが、ヤンキーからもらったんだと思う。
だいたい茶髪か金髪で、ワイシャツではなく赤いTシャツとか着ていたのだ。教師にはだいたい喧嘩を売っていて、教師の側もガチで竹刀をもっていた上、すぐ殴った。
しかし、今の子は見た目でわからないのが多い。教師には従順だが裏でいじめをするような子が多いとも現場からはきく。
昭和のサラリーマンは意外とスーツをきておらず、入社式でもわりといろいろなリクルートスーツだが、今の入社式を見ると、量産品のような同じような子たちが並んでいる。
内面の多様化はわからないが、社会規範は全然多様化していないのではないか。むしろ画一化しているような気もする。だからこそ、キャラクター性が重視されるのかもしれない。
まあ、私の時代はイケメンかどうかってのは大事だった。今はそうではないらしい。キャラクター性が大事なようだ。面白いとかそういうの。面食いの私はまあ、よくわからん。