ジャニーズもそうだったが、「これで謝罪した気になっている」ことが恐ろしい。
ジャニーズなんて、危機管理対策No1とかいう弁護士でアレだった。
いかに上級国民やメディアの世界が、一般人からしたら異様な世界かわかろうというものだ。
ビグモもそうだったが、この国では「弱いものは人間とはみなさない」という思想が通底している。ビグモ経営陣は、保険会社という巨大な組織と組んでいたわけで、絶対に逮捕されるわけがない。
いじめ被害者が反撃した瞬間、とんでもない悪党呼ばわりするのもそうだろう。
そう、この国には太古から「革命」がないのだ。
弱いものが強いものになる、という革命がない。明治維新も革命ではない。一般市民は蚊帳の外で、中国の黄巾の乱とか太平天国の乱みたいな大衆蜂起ではない。フランスにおけるフランス革命のようなものでもない。
大化の改新も、単なる権力者の間の政権交代にすぎない。
ゆえに、この国では「内部告発」がとんでもないデメリットなのだ。
ジャニーズもだんまりしているし、宝塚も有名どころはだんまりだろう。
というのも、内部告発=革命を起こして新しい政権を、みたいなのよりも、既得権益に寄り添い利益を得るという選択肢をほとんどの人間がとるため、内部告発は叩かれ、悪事はそれに加担していなかった組織の人間たちも隠蔽側につく。革命なんてしないのだ。
欧米でデモやストがもりあがったりするのは、一般人が弱者側につくからで、日本では上尾事件のような異様な事件が起こる。
これ世界史の教科書に乗せるべき世界史的にも異様な事件である。
単に会社に間に合わないという理由で数千人の人間がストをする国鉄の駅を襲うというもう、意味不明な事件なのだ。
なぜこうなるかといえば、会社に遅れると評価が下がるからで、それはまさに自己の利益しか頭にないのだ。労働者全体の利益なんか頭にない。
だから、日本では民間の労働組織や運動が単発ではなく、長期的にもりあがったことは一回もない(学生と公務員だけ)。
いじめ被害者の反撃も革命みたいなもので、だから蛇蝎のように嫌われる。
この国に世界でも稀な特徴があるとすれば、「異様なほど庶民が権力者に寄り添う」ということだ。
だから自民党は何をしても票が減らないし、政権交代した民主党はたぶん何をしても叩かれた。
なぜなら、革命=政権交代=悪だからだ。それは社民党連立もそうだった。政権交代した時点で悪になるので、必ず自民党に戻る。
過去に独裁者がいなかった、というのも、「庶民が従順なので独裁者のような苛烈な支配」が不要なのだ。
民主主義もおそらく、世界一向いていない。
社会主義も向いていない気がする。なにせ、どの社会主義国も、平等を政府が国民に強要する形だったのだが、日本の場合、国民がお互いに足を引っ張り合い勝手に平板化し合うというもの(その間に上級国民は利益をむさぼる。プーチンのように強権をもってむさぼるものではなく、裏で勝手にやる。批判はされるが、一年もすればみんな忘れる)で、およそ別ものだ。
コロナでも、国は強制しなくても、国民がお互いに監視し合い、攻撃し合い、日本マンセーを始めるので、ロックダウンをする必要性すらなかった。
日本を理解するワードはわびさびでも恥でもなく、「ズル」である。
この国では「ズルい」こそが最大の国民のメンタリティだ。
おそらくこの国最大の悪は、「既得権益や権力に逆らうこと」であって、これ以上の悪事はない。
だから、アメリカ出ていけといえば、親の仇のように叩かれる。
アメリカは絶対的権力だからだ。
アメリカよりも韓国を忌み嫌うという意味不明な行動も、弱いやつをたたくという国民性ゆえだ。
日本と韓国以外の国では、人前で叱責すると、あとから反撃される。これは人間の尊厳を傷つける行為とされている。
日本ではそうはならない。部下や後輩は弱い立場なので、「逆らう権利」がないのである。
問題なのは、弱者側もそう思っていることである。
世界では、弱者だろうが何だろうが、尊厳破壊に対して反撃する権利を有すると思われている。だからこそ、強い立場の人間は強権的になるし、弱い立場の人間も革命の正義は我にあると思っている。
日本では弱い立場側の人間も強い立場の人間に対して反抗することは悪いことと思っている。
だから、すぐに出羽守が出てくるのもそうだ。
欧米という虎の威がないと、弱いやつが喚いているでしかないからだ。
ICT教育と売り渡される日本の富
安倍政権は日本の富をアメリカに売り渡した。
具体的には対外有償軍事援助のことだ。
小泉政権もまた、郵政という巨大な貯蓄をアメリカ株を買うために民営化した。国家公務員削減が叫ばれていたが、本当の目的はこっちである。
社会党なきあと(村山政権以降、事実上なくなったよ)、自民党の政策は一貫していて、「アメリカに日本の富を売りわたすこと」である。
右派政権も左派政権でも革新でも保守でもなく、単なる売国奴である。
で、ここ10年くらいで急激に進められてきたICT教育もまた、アメリカに富を売り渡すことが真の目的である。
というのも、ICTで「何をするか」は殆ど機材導入の話でしかないからだ。ICTだからこそ、というような教育が行われているわけではない。
一例をあげれば、紙の教科書をタブレットで見る電子教科書にする、といったものだ。これで何が変わるのだろうか? 教科書の中身は同じなので、何も変わらない。変わらないどころかコストはアップするので、いいことは何もない。
電子黒板もそうだ。プロジェクターやOHPで問題ある??
こいうと、馬鹿は言う。
国産パソコン購入で経済活性化だ、と。
んなわけあるか。中身はCPU(アメリカ製、台湾製造)、メモリ(韓国製、台湾製)、HDD(アメリカ製)、SSD(日本製、台湾製、韓国製、アメリカ製)、電源(中国製)、モニタ(韓国製、日本製でも基幹部品は韓国製)、マザーボード(台湾製、中国製、日本製でも中国製のOEMが殆ど)、ビデオカード(アメリカ製、台湾製造)だぞ??
そう。中国製はほとんど組み立てだけで、中身の多くはアメリカ製、台湾製、韓国製のどれかだ。わずかに日本製もあるが多くはない。NECだろうが、90%は外国製パーツだ。
さらに、ソフトウェアはどうだ。officeやWindowsはどこ製だ? 言ってみろ。
政府でさえ一太郎(日本製)ではなく、Word(アメリカ製)を使っている。
国富を売り渡しているだけだ。アメリカに、だ! なにせ一番高い部分(ソフトウェア)がアメリカ製ばっかりだからな!
岸田の不支持がすごいらしい
ネトウヨはこの経済状況ではだれがやっても同じというが、違うだろ。
トリガー条項を発動するとか、増税は見送りにするとか、防衛費増額は取りやめにするとか、経済状況が悪いならそれを鑑みてやることあんだろ? それをやってないからだ。
こういうと、世界情勢が~台湾有事が~とかいうネトウヨが沸くが、防衛費増やせば中国に勝てるの? 自衛隊員の募集定員割れしててそもそも戦う人材がいないけど?
戦争で一番大事なのは「士気」だよ。なんでベトナム戦争で始終ずっと有利だったアメリカが撤兵して敗北するということになったのか。わかってんのかね。
給料安いのに、戦わないよ。自衛官は。戦争始まったら離職祭りよ。
それに、防衛をゆうなら、食糧問題をどうにかしろよ。自給もできないのに、どうやって戦うのかね。食うものがないのに戦えるのかね? 先の戦争忘れたのかね??
そういう、やるべきことしないから不支持なのよ。
私だって、物価さげろとはいわんが、賃金上昇してすら、実質賃金はずっとマイナスなのはどうしてか考えたことあるのか? と言いたい。
それに、物価高は為替のせいとか原料高とかが半分はうそなのは、食品会社がどいつもこいつも増収増益であることから、本当の上昇幅はもっと小さいことがわかる。
2000年前にユダヤ人のもだっていう理屈が通るんなら、
2000年前にユダヤ人のもだっていう理屈が通るんなら、1000年前に中国はモンゴル人のものだし、そもそもアメリカはネイティヴアメリカンのものだよなあ? ああん? さっさと返せよ。ネイティヴアメリカンにさあ。イスラエル支持するなら、返せよ。そもそも、ラコタ族には返還の約束までしたろ?
さらにいえば、パレスチナ人は直接ユダヤ人から土地を奪ったわけではなく、ユダヤ人なきあとに入植してきただけだが、アメリカ白人は違うよなあ? 率先して奪ったよなあ? いまのイスラエルもそうだよなあ。無関係のパレスチナ人から「先祖の土地」とかいって奪ったよなあ。
で、もっといえば、ユダヤ人以前のパレスチナはアッシリア人のものだからな? 今もアッシリア人の子孫を名乗る集団はいるからな。はよ返せよ。
メンテナンスフリーのつまらなさ
戦後日本はメンテナンスフリーを目指してきた。
これは明らかに大量消費大量生産、そして使い捨て、というアメリカの経済思想に毒されていたし、いまもそうだろう。MOTTAINAIなどというものは、幻想の日本、いや、滝クリがプレゼンした五輪プレゼンテーションの中にしかないのかもしれない。
しかしながら、アメリカンはDIY精神が強く、いわゆるガレージでアレコレするという文化がある。
このあたりは、西部開拓精神や、広すぎる国土ゆえの物資のロジスティクスの至らなさなど、いろいろ影響はありそうだが、まだマシであろう。日本におけるDIYは老後の趣味でしかない。生活に直結しない。
で、私個人は比較的ものを取り換えることもあるが、気に入ったものはメンテして使う。
修理する楽しさ、メンテする楽しさというものがあるが、そういったものを日本人は忘却してしまったのではないか? とすら思う。
別に綺麗にする必要はない。無理をする必要もない。
たとえば、車ならドラレコも扇風機も自分で設置する。もちろん、雑な設置だが実用には困らない。ヘッドライトやカーバッテリーも交換する。
だからといって、タイヤ交換はしない。できないことはないが、これは怖いからだ。プロにお任せしたい。
パソコンなんかもノートパソコンのキーボードを変えたりして、10年くらいは酷使したりした。
文房具も使い捨て文具はあまり使っていない。ボールペンなんかも明らかにダイソーの使い捨てのほうがコスパがいい。
なにせ、200円で10本入っている。価格崩壊だ。で、メーカー品のリフィルは800円する。
私の祖父母の家では振り子時計が今も現役で、半世紀以上使用されているようだが、当然、ねじを巻かねばならない。電波時計のように電池を交換して終わりというわけでもない。
別に凝り性である必要はないが、メンテする楽しみはあっていいのではないか。
プラットフォーマ―の不滅性の実験
何度も述べている気がするが、IT業界は技術では決まらない。ぶっちゃけ、金と権力で決まる。確かに過去は技術で決まることもあった。IBMのオフコンはその新規性と高い新技術によって普及した。
だが、現在は違う。
イーロンマスクはTwitter(X)を破壊しようとしてはいるが、一回成立したプラットフォームは容易に崩壊しえない。どれだけガイジムーブをしようが、MetaがTwitterの座を奪えることはない。
プラットフォームは販路と同じである。
かつて電機メーカーで販路を持たないメーカーはとても弱い立場だったし、日本の技術力の高い中小企業が技術力もないブランドだけの大企業の下請けをしているのもまた、販路がないからだ。
技術があっても、いいものをつくれても、売る場所がない。
ITにおけるプラットフォームも同じだ。
そして、一回プラットフォームを確立すると、もはやそれは権力であり、権威となる。
IT関連ほど実は権威主義的で権力がものをいう世界はない。
いや、そもそも、多くのユーザーを抱えたサービスそのものが権力なのだ。
Twitterに技術的にすごいことは何一つないし、サーバー負荷も多くはないだろう。
スマホゲームの方が数千倍のトラフィックを抱えているはずだ。
だが、Twitterの利点は、10年以上前からサービスしているという、早期参入による権威である。
IT業界では早期参入してデファクト化し、権力となることで安泰になる。
ゆえに、イーロンが何をやってもTwitterが衰退する兆しはない。
企業はTwitterに金を払い続けるから、金が枯渇しそうにもない。イーロンは壮大な社会実験をしているように見える。
かつて通話アプリで名をはせたSkypeは今では見る影もない。
プラットフォーマ―も滅亡することがあるのではないか? とも思える。だが、これはパナソニックの販路が、ネット通販によって意味をなさなくなったのと同じで、Skypeはハードウェアがスマホへ移行した際、乗り遅れた。結果、LINEやカカオトークがその地位を得るに至った。
今後も何か大きなハードウェア変更、ネットワーク概念のパラダイムが起こらない限り、LINEの天下は続くし、Twitterも消えない。
Windowsも20年前からなくなるなくなるとギークが言い続けているが、なくならない。事務機に代替品がないからであるし、あったとしても、膨大なソフト資産があるWindowsから乗り換える意味がない。
この早期参入=不滅の権力というITプラットフォーマ―の特性こそが、Meta社を嘲笑されながらもメタバースに向かわせた要因である。
Meta社には、MicrosoftのWindowsやAppleのAPPストア、GoogleのGoogle Play、AmazonのAWSやECサイトやロジスクティクス網、GAFAMでは唯一強力なそれがないのだ。
Facebookではいかにも弱い。他に匹敵するプラットフォームがない。
だからザッカバーグはメタバースのプラットフォーマ―になるしかないと考えたのだろう。
壮大な賭けだが、MSでさえスマホ用アプリストアでは鳴かず飛ばずだ。
プラットフォーマ―は基本ひとり勝ちかせいぜい、2者くらいしか生き残らない世界だ。いまさらスマホアプリ参入はむずかしい。
クラウドもダメだ。IBMですら参入している。競合が多すぎる。
そして、大手ITベンダーがほとんど金を入れていない分野、それがメタバースだった。投資家たちは女とギャンブルにしか詳しくないアホばかりなので簡単に騙せるだろう。
ただ、メタバースが成功するかどうかは未知数だった。
もし、キリスト教がローマの国境にならなかったならば
もし、キリスト教がローマの国境にならなかったならば、そして、スキタイ南下以後の中国のように、ゲルマン南下後も、再び東西ローマ帝国が統一されていたならば、おそらく世界は古代から意外と進歩がなかっただろうなと思う。
これはキリスト教だとか、世紀の大ウソつきのヴェーバーのプロテスタント礼賛を支持するのではない。
逆だ。
ローマ人が当初恐れたように、キリスト教は悪魔の宗教であった。
特に当時の文明世界(アナトリアとバルカン、エジプトあたりのこと)から隔絶された結果、カルト化していったカトリックは特に先鋭化していく。
同じキリスト教でも、オーソドックスはマシなほうで、オーソドックスの総本山だったビザンツ帝国(東ローマ帝国)は、本来異教徒であるはずのペルシア人(当時はゾロアスター教徒)の方がカトリック教徒のゲルマン人よりも信用できると考えていたフシがある。
アルメニア人もキリスト教の一派であるアルメニア正教徒であるが、彼らもまた、ビザンツ帝国の次にペルシア人を身近に感じていたフシがある。
西ヨーロッパの蛮族たちは文明人として考えるに値しないと捉えていたと思しい(アルメニアを欧米人はヨーロッパに含めたがるし、地政学的に現代アルメニア人もそれに従っているが、紀元前からイラン文化圏であるので、イラン文化の影響が強い)。
この傾向は長く続き、ペルシア人がイスラム教徒になったり、アナトリアにトルコ人が侵入し、イスラム化されたあとも、ビザンツ帝国は一貫してカトリックよりもイスラム教徒の方を文明人とみている。
一応、カトリックが力をつけてきたので、協働はしているが、十字軍の件など、とても同じ文明人とはみなせない。
また、ペルシア人自身も現在に至るまで、アラブ人を格下とみる風潮がある(南アラビアは8世紀になるまでゲルマン世界のように外界だった)。
イスラム化したあとも、アルメニア人やモンゴル人、ギリシャ人に対するペルシア人(イラン人)の態度とアラブ人に対する態度はやや異なっている(屈折している)。
現在の世界史では蛮族扱いのモンゴル人にはペルシア人はむしろ敬意を払っているようにさえ見える。
もっとも、これは当時のモンゴル人が少しも蛮族ではなかったことを示す。
そもそも、チンギスハーンは世界で最初に「兵站」と「情報戦」をまともに取り扱った帝王(意外だが、武器や戦術が強かったわけではないのだ。対日戦や対越戦での惨敗は当時の水準では兵站問題が解決できなかったからだと思う。)であり、ロシア語に残るモンゴル語の残滓が基本的に行政や経済に関する高等語彙なのも、モンゴル人は蛮族ではなかった証だとは思う。
話が逸れたが、当時の世界でキリスト教――特にカトリックは野蛮の極みであった。
このため、多くの周辺民族はキリスト教にドン引き(ローマ人は当初、とんでもないユダヤ教のカルトがローマで流行っていると恐れたため、弾圧した。これは当然で、神は一柱しかいないという彼らの主張は現代日本で創造論を主張するのと同じことだった)であり、カトリックに自主的に改宗するようなのは、ゲルマン人のような蛮族に限られた。
逆に異端扱いされたネストリウス派は、インドや中国でさえ受け入れられた。
これはのちに力をつけたゲルマン人がネストリウス派をこきおろす歴史を書いたせいだが、当時の文明人である北インドと中国人が受容していることから、文明的とみなされていたのは疑いない。
話はそれたが、ヨーロッパの躍進は、ようするにローマの破壊にある。
ローマの遺産を徹底的に破壊した。この破壊がどれだけ人類史上苛烈だったかは他の地域と比べればわかる。
エジプトでは度重なる異教徒の侵略にもかかわらず、コプト教は生存している。イランでもゾロアスター教徒は少数だが生存している。
中国においては、儒教の国教化をもってしても、道教も仏教も殺すことはできなかったばかりか、共産主義ですら宗教を撲滅できなかった。
これはソ連も同じだ。
ソ連はロシア正教を殺せなかった。
しかしながら、西ヨーロッパ世界ではキリスト教以外の宗教は中世の段階でほぼ撲滅(フィンランド人など僻地ではもうしばらく異教が崇拝されたが、資料はほとんど残っていない)された。
ドルイド教もローマの宗教も、イシス教やミトラ信仰も、全部だ。跡形もなく、だ。
これは異様なことだ。
カトリックの異様さは、新大陸の文書のなさにも表れている。アステカ帝国の膨大な資料はもはやたった三冊の本でしか残っていない。異教の文書として徹底的に燃やされたのだ。
ポルポトですら裸足で逃げ出すような、カトリックもしくは、のちにカトリックの母体となるカルト集団とゲルマン人の野蛮さが融合した宗教的破壊活動は人類史稀に見る破壊であった。
これに比べるとモンゴル人は何も破壊していないに等しい。
ビザンツ帝国(東ローマ)ではその無慈悲なまでの破壊活動がなく、だから、東ローマは最後まで古代帝国のままだった。
ローマ帝国の遺産を野蛮で蒙昧なゲルマン人カトリック教徒は破壊しつくした。
その結果、逆にゼロスタートになった。
西ヨーロッパは一回、有史以前、つまり古代帝国よりも前の段階まで地ならしされてしまった。
今日のヨーロッパ文明はギリシャ文明と何一つ地続きではなく、一度破壊されて再スタートした「五つ目の文明」といえるかもしれない。
結果、余計なしがらみがなくなった(古代エジプト文明はメソポタミアと違い、平穏な期間が長かった反面、安定した政治状況が続いたせいでしがらみが多く、定形化や様式化、形骸化があまりにも進みすぎ、メソポタミア地域に比べて先進的なものを何も生まなかった)。
だから、ゼロスタートは機械文明へ進んでいく契機になった一方、道徳も知識も失われたので、魔女狩りや異端審問といった古代帝国でさえやらなかったような文明以下の行為が横行した。
これは表裏一体だ。
無知がペストを蔓延させた。
当時ペストは世界中で流行っていたのだ。
しかし、中国でも、東ローマでもイランでも、西ヨーロッパほどひどい結果はもたらさなかった。
なぜなら、無知ではなかったからだ。
中世日本ですら疫病に対する対策はされていた。
部外者は村離れの小屋に一か月逗留してから入村することといったルールが定められていることもあったそうだ。だが、ヨーロッパ人にはそういった知識がなかった。ローマ人は知っていたが、それは失われていた。
ヨーロッパの絵画芸術が写実主義になっていくのも、文明ゆえの様式美がなかったからだ。エジプト人は写実的な絵が描けなかったわけでも、自由な彫刻がつくれなかったわけでもない。単に様式美が優先されただけだ。
しかし、西ヨーロッパでは様式美そのものが破綻していた。ローマから続く様式美は消えてなくなっていたのだ。
新しいことを始めるには旧弊を破壊する必要がある。
しかしそれは容易ではない。日本でも、元号をいつまでも使っている。典礼や行事で元号を使うのはいい(ネトウヨは元号に拘る謎)が、行政文書に使うのは間違っている。ようやく運転免許で是正されたが、一体何十年かかったというのか。
もちろん、野蛮なゲルマン人たちはわっていてやったわけではない。
野蛮だっただけ(このゲルマン人特有の野蛮さは人類の中でも特殊な地理的条件に住んでいることにおそらく起因する。ゲルマン人に次いで野蛮なスラブ人も、寒く乾燥した地域に住んでいるが、人類のほとんどは温帯か熱帯、乾燥帯に住んでいて、極寒の地域にはすんでいない。すんでいてもエスキモーのように少数で、ゲルマン人スラブ人のように大量の人口を抱えていない。また、容姿もゲルマン人スラブ人は特異である。人類は人種を問わず、基本的に黒い髪に黒い目だが、金髪に青い目というのはホモサピエンスの中では異常な容姿だ。なにか因果関係があるのではないか。古代ローマ人も古代ペルシア人も、黒い髪に黒い目だったのだ)だ。
だから、いったん暗黒時代に入ってしまう。
だが、しかし、この暗黒時代こそがのちの西洋の躍進を産んだのだ。プロテスタンティズムとか、ギリシャ以来の民主主義とかそういうことじゃない。全部間違いだ。
実際のところ、ローマ帝国と中華帝国はよく似ている。(私たちは全く異なるものと教えられるが)
たとえば、人糞は世界的に利用されたが、ローマ人もまた積極的に利用していた。中国人もまたそうだ。
マカートニー使節団がやってきた際、この人糞の利用を臭いと非難しているが、人糞を利用するのはエコであり合理的であった。
ところが、ローマ帝国なきあとこういった利用は失われた。同時に公衆衛生もまた失われた。
結果的に人口増は遅滞する。
ところが、この遅滞は最終的には、よい方へ作用した。
というのも、合理的な人肥を使っており、公衆衛生のしっかりした中国では人口が増え続けたのだ。
そしてこの人口圧は、中国の機械文明化を遅らせたどころか、後退すらさせてしまう。
一方、西ヨーロッパは人口増に乏しかった。人口パワーではむしろポーランドやオーストリアといった東側が優位だった。定期的に遊牧民(ブルガール、マジャールなど)とスラブ人が流入してきていたためだ。
イタリアとバルカンは北アフリカ世界とむしろ結びつきが強かったので、ゲルマン世界ほど暗黒の世界ではなかった。
このため、イタリアは地中海世界から学問を仕入れていたのでルネサンスの契機にはなったものの、機械文明的にはゲルマン世界に後れを取る、というか、多くのイタリア人の実績は事実上、ゲルマン人たちに簒奪されていく。
たとえば、簿記を発明したのはイタリア人だったが、これはのちに英仏によって世界の経済を支配するために利用される。
そう。イタリア半島は二度、ゲルマン人に簒奪されたのだ。
イギリスでは人口が爆発的に増えたのは産業革命期だ。
遅滞したゲルマン世界で人口が増えるには機械文明化は必須事項だった。
18世紀中にイギリスの人口は爆発的に増えた。
当時の日本よりずっと少なかった人口が100年足らずで追い抜いてしまう。一方、文明の崩壊がなく、少しずつ進歩していた日本では17世紀前半に人口の爆発的増があり、中国同様、機械文明はむしろ遅滞した。(牛馬に犂をつけていた農作業が、なぜか人力になるのだ)
ポーランドがゲルマン人に支配されていくのもこのころだ。ゲルマン人人口が爆発的に増えていくのだ。
これは爆発的な人口増により対外膨張政策が始まったことを意味する。そして、西洋人は多くの機械兵器を持っていた。
一方、中国では17世紀にはじまった人口増がとまらず、増えすぎたせいで公衆衛生は低下し、治安は悪化し、文明の機械化などとうていできない状況だった。
この辺に日本の19世紀後半の躍進の理由もある。
というのも、日本はほかの世界と異なり、17世紀初頭に爆発的増加した後、人口増は停滞していたのだ。これは鎖国政策により、完全に文明の進歩が停止してしまったからだろう。
江戸時代はほとんど何の進展もなく200年を超えて運営されていく。
学術や技術、農業土木、芸術などは17世紀以降ほぼ進歩がなかった反面、経済に関しては大いに進展した。
この経済の進展は最終的に全国を統一するのに役にたったが、商業従事者を生み出した以外、人口増には寄与しなかったし、芸術や学術の進展にも寄与しなかった。
そこに明治維新以後、機械化政策は始まった。
結果、産業革命中のイギリスと同じく、急激な人口増が発生し、100年経たずに、2倍を超えてしまう。結果的にイギリスと同じだ。膨張政策が始まる。
もちろんこれは失敗するのは必然だった。
イギリスが世界の支配に成功したのは18世紀から19世紀に話だったからだ。
当時、世界は人口増に苦しんでいて(インドもそうだ。17世紀のインドは人口増により、内戦の続く状態にあった)、イギリスはその苦を免除されているに等しかったことと、機械化文明と機械化の遅滞した旧弊な帝国とでは戦力に雲泥の差があったことだ。
だが、20世紀中ごろには、人口増による苦しみは緩和されつつあった。
啓蒙政策という名の奴隷政策で、イギリスが世界中に武器と知識をバラまいていたので、日本側が圧倒的に優位というわけでもなかった。
アヘン戦争時の清とイギリスでは抜き差し難い差があっただろうが、日中戦争時の日中の差はそれほどではなかった。
また、政治機構自体がゼロスタートではなく、江戸時代の遺産の上に西洋式のものを挿し木したキメラだったことも関係するだろう。
これは現在も尾を引いている。中国の現政府は清とは全く連続しない。
国民党は旧来の制度を引き継いではいたが、内戦でゼロリセットされた。
日本の現政府は大日本帝国の屍の上に継木されている。土台はハナから腐っている。