グレコ・ローマンとひとくくりにすることが多いが、これはユーロセントリズムだと思う。
というのも、ローマ人がギリシャ人から多くを学んだのは事実だが、ギリシャ人側は人種的言語的にはローマに近くても、文化的経済的には中東・北アフリカ寄りだったからである。
ローマがカルタゴを滅ぼしたとき、ギリシャ人は野蛮なローマ人とけなし、フェニキア人に同情的だったし、プトレマイオス朝は王家こそギリシャ系だったが実際にはエジプト王朝そのもの(なのでプトレマイオス朝は古代エジプト最後の王朝としてカウントされている)だったし、ペルシア人はギリシャ人の王(アレクサンドロス)を認めた。
しかし、エジプト人はローマ人支配をギリシャ人支配のようには受け入れなかった(ギリシャ語文献の多さに対し、ラテン語による著作・碑文はほとんどない)し、そもそも、ローマの中東・北アフリカ・バルカンへの侵略戦争は、土着の民族・ギリシャ人連合との戦いであった(セレウコス朝、プトレマイオス朝)。
ローマ人のその品性の低さはまさにヨーロッパ人の元祖という気がするが、グレコ・ローマンというくくりはおかしいと思う。