日本における重要な習慣や概念の多くは明治時代以前に遡らず、だいたいイギリス由来である。
たとえば、白無垢や神前婚というのは西洋のウエディングドレスとキリスト教式の結婚式から派生したもので、日本に於いて白装束は喪服や死装束を意味するので、結婚式でも基本、黒であった。
いまでも男は黒の裃を着ることからわかるだろう。
先輩・後輩というのももともと日本的ではない。
徒弟制度として、兄弟子・弟弟子というのはあったが、同級生という概念、それの上下としての先輩・後輩という概念はない。
というのも、弟子関係は年齢は関係ないし、師匠という存在がなければ意味もない。
先輩・後輩概念、これは学校制度と強く結びつく。
元ネタはイギリスのパブリックスクールで、ここでは日本の先輩・後輩にあたる作法が昔からあるが、面白いのは、先輩・後輩に該当する言葉がないことと、パブリックスクールは上流階級の学校だということ。
それがなぜか日本ではすべての学校教育に導入された。結果、本家とはかなり異なった上下関係が生まれた。
西洋式は歩き方すら変えてしまった。明治以前の正しい歩き方とは難波歩きで、これは着物の構造と関係がある。
星や暦は古来からのモノは死に絶えた。
卍マークは本来仏教のシンボル(正確にはアーリア人のシンボル)だが、殆どの日本人はナチスドイツのハーケンクロイツ(向きが逆だし、ネタ元が同じだが)を想起する。
和魂洋才ではないが、結局、観念が西洋化してしまっている。