教員採用試験の倍率がどんどん下がり、採用年齢の引き上げが行われているが、今後も倍率はあり得んほどの速度でさがっていくだろう。これはわかりきっていたことだ。
戦前の教師は師範学校卒業生が大半を占めていた。師範と呼ばれていることからわかるように、現在と違い、教員の社会的地位は極めて高かったので、金持の子弟は師範学校を目指すことも少なくなく、教員の多くは地元の有力者だった。この名残が、いまだに地域と学校のちながりを強調する日本の教育の姿がある。
そして、私たちの想像よりも戦前は体罰の少ない時代だった。日本の教育の体罰主義は軍国主義と表裏一体で、本来の日本の教育とはあまり関係がない。
加えて、有力者の子弟が教員やってんだもの、モンペなんているわけもない。
貧富の差も大きかったので、制服というものも、旧制中学にでもいかないとないものだった。校則もない。先輩後輩というのも、旧制高校にいかねばない。
ちなみに、教育勅語を称賛するネトウヨも、軍国主義の象徴と述べるパヨクも阿保である。あれは出来の悪い教育指導要領である。
しかし、これは戦時下と続く戦後の急激な人口増によって終わりを告げる。
戦時下の代用教員の多くが正規の教員になり、戦後は殆ど無試験無資格で教員が採用されていった。ここで教師の質は極めて下がった。
そもそも正規の教育を受けていないから、その多くが軍隊で習った教育方式、すなわち怒鳴りつける体罰をふるうという指導を行った。
学もないので、教育指導要領を丸読みするような品質の教育が跋扈した。
また、戦後に急激に体罰は増え、軍隊めいた教育が逆に普及する。
劣悪な教師は憧れる職ではなくなっていき、また、有力者の多くは農地解放でその地位を失っていったために、権威としての学校はなくなった。
大学進学者が増えてからは、大卒の教員も増え、一時知的に持ち直す。
しかし、これも長くは続かず、80年代以降はバブル景気のせいで国立の教育学部を出ても教員にならない人が増え、何とも知れない四流大卒の教員が増えていく。
また、教師ものドラマが一世を風靡し、ヤンキー教師があこがれの的になっていく。
2000年代に入り、また景気が停滞したため、また一時的に国立大卒の教員が増えるが、これも長くは続かない。
教員はすべての職業の中でも鬱、自殺の多い職業で、残業代はつかず、部活や地域活動をやっても手当はつかないか、ついてもアホみたいに安い。
また、教師の質は戦後下がり続け、おかげで倍率は下がり、ロリコンやセクハラ教師が採用されはじめ、ますます、質と印象はさがっていく。
倍率があがるような目はない。
こうなることは、少なくとも40年前にはわかっていたはずだ。
日本人は教師ドラマが世界一好きだが、教員に対しては全く尊敬の心を抱いてはいない。