憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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なぜオリンピックはギリシャで始まったのか

 なぜオリンピックはギリシャで始まったのか。


 はじめに結論を言えば、ギリシャが野蛮な辺境だったからである


 古代社会では軍人は現代と違い尊敬されていなかった。食料を確保する狩人は尊敬されていた。
 現代よりもずっと死と諍いが近い世界では、戦うことそれ自体が忌むべきものだった。たとえ競技であっても。


 だから相撲もそうだが、神事としてはあっても、あえて競い、あたかも代理戦争の題材にすること自体がおかしかった。そういう価値観だったのだ。


 貴人は太った色白というのがどこも相場で、皇帝は狩りはしたし、将軍としての才は求められたが、実際に、殴る蹴るという実務については忌むべきものだった。ゆえにペルシア人は自ら戦わず、ギリシャ人を傭兵として使うことが多く、アレクサンドロスも実際に戦った下級兵士はだいたいギリシャ人だった。


 筋骨隆々な肉体を賛美し、闘争の代理戦争をオリンピアと呼んで貴ぶ。まあ、周辺の文明化した人々からすれば「野蛮」以外の何物でもなかった。エジプト彫刻やペルシア彫刻において筋骨隆々な肉体が表現されず、全裸も避けられたのは、そこに「野蛮な暴力性」があったからである。


 ギリシャ人は田舎者だったので、この暴力性を無批判に賛美していた。
 なので、オリンピックはギリシャ都市が文明化しローマに組み込まれるとなくなるのだ。だって野蛮な行為だったから。


 筋骨隆々な肉体の賛美は20世紀のアメリカで復古し、フランスで近代五輪が始まるまで、だいたいこの「筋肉は野蛮の象徴」という考え、「スポーツは闘争であり野蛮」という価値観はおおよそ堅持された。

 

 なぜならそれこそが「文明化」だったからだ。もそもスポーツの概念が、ブリテン島というヨーロッパの辺境。筋肉賛美がアメリカと言う同じく、欧州の辺境から生まれたのもそういうことだろう。


 ローマ人はギリシャ人の肉体賛美と闘争の賛美にはあまり与する気はなかったようで、自覚的に闘争を扱うコロッセウムをつくった。そこはオリンピックのような暴力賛美の場ではなく、暴力を娯楽化する場所だった。


 剣闘士は金は得たし、名誉も得たが、卑賎な存在には違いなかった。
 彫刻についても、ギリシャ彫刻のように筋肉美を誇示するようなものは減り、あくまでも写実として肉体を表現したため、ローマ彫刻は裸体ではないものが多くなる。無意味に肉体美を誇示するようなポージングのものも減る。


 基本的に筋肉や肉体への賛美は暴力性とつながる、という価値観はおおよそ文明化された世界では共有された。高貴な人間は色白デブというのも共有された。


 これらにはもうひとつ、農作業主体の世界では筋肉質で黒く日焼けしたやつというのはだいたい百姓なので、卑しいわけだ。

 農耕が導入され、都市や国家が形成されるとこの段階に至る。これはひとつの発達段階で、だからこそ、オリンピックのようなものが行われていたギリシャ都市は、都市化の水準でいうとかなりレベルが低かったと私は考えている。


 そもそも直接民主制は200人程度までしかまともに機能しない。集団のサイズが大きくなると間接民主制や王権に移行する。

 古代ギリシャは移行しておらず、スパルタやマケドニアアテネなどと違い、きちんと移行していた所を見るに、アテネは実のところ、「遅れた発展性のない都市」だったと見るべきだろう。スパルタに敗北したのは必然だ。