憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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地震学の誕生

 日本は地震大国なのだから、ヨーロッパの近代化に重大な影響を与えた「事象」であるリスボン大震災に触れればいいのに、全く触れない

 おそらく、地震なんてものが社会や政治に大転換を迫るような影響はないと思っているのだろう。地震大国だけに、逆に、だ。
 また、ヨーロッパが「思想」で変わったと思い込みたいのだろう。まさか、地震をたくさん経験しておきながら、近代化の契機の一つが地震だったなんて、これでは「近代化」できなかったことが馬鹿みたいではないか。
 実際、江戸も地震後に火除け地はできても、耐震建築という発想も、地震予知という発想も全く出てこないのだ。この場当たり的な対策、現在もそうだと思う。

 そう。近代化において、リスボン地震は外して語ることはできない
 というのも、いくら近代思想――反キリスト教的な思想があっても、「証拠」がないと話にならないからだ。そして、キリスト教暗黒時代に完全な終止符を打ったのが、この震災であり、「証拠」なのだ。

 リスボン大震災は、イギリスのグレートアースクエイクみたいな、日本人なら鼻であしらうようなものではなかった。
 グレートアースクエイクの震度はだと言われているが、リスボン大震災はマグニチュードだったと言われている。また近海200kmで発生しており、震源が近い。
 このため、巨大な津波リスボンを襲い、数万人が死に、王宮は流された。九死に一生を得た王は死ぬまで閉所恐怖症を患い、倒壊しても押しつぶされない木造テント以外で生活できなくなったという。まあそうだろう。

 で、この地震は、植民地時代から一貫してカトリックを広めるために尽力してきたポルトガルの首都で起き、かつ善人悪人の区別なく都市の半数近い人間が死んだ。
 この事実は地震を「神罰」と考えるキリスト教の考えを根底から疑うものであったし、市民や教育を受けていない層も、キリスト教の神と教えに疑念を抱いたに違いない。

 面白いのは、日本でやたらクローズアップされるイエズス会は、震災は神罰と言ったために、震災後、ポルトガルを追放されている。
 これまでイエズス会を先兵として使っていたポルトガルの、この大転換はルターの宗教改革よりも重大なトピックである。
 西洋史中世以降ゲルマン世界偏重(日本人は英独の歴史観を無批判に受け入れている)なのでこういう間違った重要視が起こる
 だって考えてみたらいい。プロテスタントキリスト教でしかない。アンチクリストではないのだ。所詮はキリスト教内部の内ゲバにすぎず、ほとんど近代化やルネサンスとは無関係だと私は考えている。
 ひとえに、ドイツ人が自分たちがあたかも近代をつくったかのように錯誤させるための捏造だ、とすら思う。マックスウェーバーの説も、現在では妄言とされているが、日本ではいまだに根強い信仰がある。ドイツ人の嘘に騙されるな
 ドイツ人が近代文明に参画したのは、とっくにイタリア人が近代を開いただ。

 話が脱線したが、つまり、この地震を境に、ポルトガルキリスト教への強い関心を捨ててしまうのだ。

 また、ポルトガル政府は耐震建築の設計を始め、神罰なら仕方がないという考えではなく、地震はいつ起きるかわからない「現象」であるから、これに対応できる策を講じる、という考え方にシフトする。
 以降、災害は神の意思や罰ではなく、予測可能な現象であるという考えが変わり者(異端者)だけではなく、エリートたちの間に一般化していくのだ。
 まさに近代への飛躍である。

 近代思想はポルトガル大震災をもって、「神への疑念」を現実問題化したのだ。

 また、それだけではない。近代科学も本当の意味でここから始まった。
 このとき耐震建築の設計を任されたポンバル侯爵は偉大な人物と言える。
 これまでの科学はニュートンのように、数式で神の意志を推しはかろうというものだった。
 それらは何ら実際的な意味がなかった
 ケプラーコペルニクスにしても、天体の動きや、地動説や天動説の違いなど、実生活にはどうでもいいうえに、役に立たない話だった。
 実際、天動説も地動説もそんなことに関心のなかった東アジアの天文学が問題なく運用されていたのだから、実際の運用に近代の天文学は不要であった。

 しかし、彼は現代の地震学に通じる「実学」を始めたと言ってよい。統計や実験の繰り返しで、地震予知や耐震構造をつくっていったからである。「社会全体にとって有用な科学」がここに始まったのだ。
 これは重要だ。「社会全体」という部分が、だ。
 なにせ、古代エジプト時代から「実学」はあったわけだ。
 しかし、それは神殿の建築であり、徴税のための検地であり、「支配者にとって有用な科学」でしかなかった。社会全体の質を向上させるものではなかったのだ。地震学はすべての人間に「地震から身を守れる」という恩恵を与える。この点で、全く新しい学問であった。
 以降、欧州は社会全体が発展していく。科学だけではない。この、近代的発想は社会にも重篤な影響を与えていく。東アジアや中東では、革命があっても、新しい王が玉座につくだけの話であった。社会構造自体は何の変革もなかった
 中華帝国は秦から清に至るまでの2500年間、何の社会的進歩がなかった。

 しかし、「社会全体に有用な科学・学問」の存在は、社会構造の抜本的な変革を迫った。フランス革命のような社会構造を根底から破壊する事象が起こった
 これまた、ゲルマン歴史観だと思うが、イギリスの議会制民主主義があたかも革命的な社会構造の変質だと語られるが、フランス革命に比べれば屁みたいなものだ。
 だってそうじゃない? フランスに制度として存在した三部会とイギリスの議会制民主主義に違いがある? それに、イギリスのそれは王権の下での議会である。
 真に議会制民主主義と呼べるのはフランス革命で誕生する。そして、フランス革命を模倣したアメリカの人権宣言でその概念が確立するのだ。