相撲協会自体はクソのようなものだが、相撲界のシステムは日本の国技「野球」と比べると遥かに近代的だ。
たとえば、力士はサラリーマンで、福利厚生が充実している。野球は戦力外になった瞬間、途方に暮れなければならない。年金や保険も自己負担。かつて古田がそこを改革したかったわけだが、まともに取り合ってもらえなかった。
次に野球では審判は絶対で、ビデオ判定は補助でしかなく、どんなに映像の証拠があっても審判が言う限りそれが絶対だが、相撲の場合、行事の判定は簡単に覆り、かなり初期からビデオ判定を重視してきた。物言いがつくと審議に入り、合議で決定する。
野球は最近人気の低迷で女子野球を甲子園でやるようになった(こういうところがまた野球のクソなところだ)が、かつてはマネージャーがマウンドに立っただけで、女がマウンドに立つなと高野連はキレていた。馬鹿かと思う。
逆に神事と言っている相撲は、田中真紀子が土俵に上がることに思ったほどの反対はなかった。
また、力士は職員でもあるので、白鴎は引退後、国技館の警備をしたりもする。実際、白鵬が見回りしているわけだ。野球では絶対にありえない話だ(監督経験者が玉球拾いをするようなもんだ)。野球では偉いやつはずっとふんぞり返るのだ。
こう考えると、相撲は近代的であるので、日本の国技にはやはりふさわしくない。わけのわからない精神論がはびこり、偉い奴は永遠に偉く、金とくればすぐ手の平を返す(女子野球の件)野球こそやはり日本の国技にふさわしい。