EVシフトは必ずくる。
EVは終わったとかハイブリッドが完成形とか言っているのはだいたいネトウヨ(EVの先進地が中国だからだろう)だが、学がないにもほどがある。
そもそも、内燃機関は最初、有効性が疑われていたのである。
まず、外燃機関(蒸気機関など)に比べ構造が複雑だった。たとえば、蒸気エンジンなら自作できるくらい簡単だが、内燃機関の自作は難しい。できなくはないが、相応の知識と工具があるが、簡単な上記システムなら誰でも家庭にあるものでつくれる。
複雑で故障も多く、大型化も困難だった。蒸気機関車のようなものをつくれるとは誰も考えなかった。
WWIIの頃だって、船舶のエンジンは蒸気だったし、蒸気機関車は昭和の終わりまで使用された。
また、蒸気エンジンを搭載した自動車も存在し、当時のガソリン車と遜色はないばかりか1906年当時、自動車の最高速度を保持していたのはスタンレーロケット(蒸気エンジン車)だが、時速200キロであった。
スタンレーの蒸気自動車自体は1927年まで製造された。
ガソリンスタンドが発達していない場合(ガソリンは揮発性で危険なので個人で保存はできない)、蒸気自動車は一定の需要があった(水と石炭で走るからね)。
また内燃機関でもディーゼルは動力車に使われるが、ガソリンエンジンが使われることはほぼない。
農業機械では力があることから、長く蒸気エンジンが使用された。
実際、外燃機関は20世紀の後半になっても主立ったエンジンだった。
蒸気機関は保守が容易で頑健なため、100年以上前に製造された蒸気機関車も容易に動かせる。だから、いまだに世界中で現役でもある。
19世紀末、ガソリンエンジンは内燃機関の中でも望み薄のエンジンだった。ディーゼルの方がまだ希望が見いだされていた。
実際、自動車くらいにしか使われないし、大型車はディーゼルだ。船舶もディーゼルだ。
つまるところ、ガソリンエンジンは小型自動車という狭い領域でしか有用性のないエンジンだ。これは容易にEV化するだろう。
そもそも、EVの方が自動車としては早く実用化された。
ダイムラーがガソリンエンジン車をつくったのは1885年だが、19世紀前半には電気自動車は完成している。
なぜか?
これは電気モーターの原理は単純であったことだ。蒸気機関がガソリンエンジンより遙かに単純なレベルではなく、さらに機構が単純なのが電気モーターだ。
カーバッテリーなんてのはボルタが電池を発明したころと大差がないし、簡単な電池もモーターも家庭の部材でつくることができる。
ゆえに、容易に実用化し得た。
ただ問題は電池だった。
とはいえ、アメリカではT型フォードが現れるまで、主流は蒸気自動車と電気自動車だった。
EVこそが主流になると考えたエジソンは二次電池の開発を行うが、芳しい成功はなかった。そのあいだに、T型が普及してしまう。
戦後の日本ではニッサンの前身となるプリンスが電気自動車をリリースしていた。
電気自動車が有用なのは動力源が「電気」なことだ。
電気を作る手段は無数にあり、なんでもいい。
石油の輸入がストップすればガソリンは手に入らないが、電気は水力発電や地熱発電、石炭火力であれば、石油は要らない。これこそが最大の利点である。
たとえば、自宅でガソリンを作れるやつはいないが、ソーラーを設置すれば電気は自給できる。
また当初、電気自動車が恐れられていたのは事実だ。
EVは電池がネックだったが、常時供給ならガソリン車よりも遙かに利便性がよかった。このため、路面電車は19世紀末から世界中に一気に普及した。
これを破壊せんとしたのが上の記事である。
日本でもパンタグラフから供給することで、蒸気機関車は電車に置き換わった。
まず、内部に機関を持たないため、軽く済む。電車は蒸気機関車よりも遙かに軽量で燃費がよく、なにより噴煙がない。
電車はレールの上を走るため、同時に送電網を敷設すれば済む。
噴煙の出る蒸気機関車、ディーゼル車よりも圧倒的な利便性がそこにあった。
鉄道網はまたたくに電化(EV化)した。
新幹線は高速かつ燃費のよい乗り物だが、電動である。
モータリゼーションを是としたアメリカの国家方針として、電動の廃止があったのではないだろうか。
アメリカが異様なほど電鉄網が持たないのはこのせいだろう。大きな鉄道会社もなく、ビッグスリーが幅をきかせていた(多くの国では国営の巨大鉄道会社があった)。
アメリカは世界最大の産油国(現在もだ)だ。ガソリンエンジンの普及が望ましかったに違いない。
ガソリン車の普及はある意味、アメリカの国策だ。ヒトラーも国民車構想とアウトバーンの敷設を行ったが、これは陸戦の多いヨーロッパ内大戦で戦車を有効に使うという意図もあったので一概には言えまい。
一方資源のない日本では、容易に代替できる電気エネルギーを使った電鉄網が世界一発展することになる。
そもそも、「EV=エコ」というのは間違いだ。前提が間違っている。
EVの利便性は、構造が単純であること。
電気エネルギーは入手が容易であることだ。
しかし、世間はEVを高級路線でどこも売ろうとした(イーロンマスクに騙されるな!)し、エコの名目で普及させようとしたことが間違いの始まりだ。
逆に言えば、ハイブリッド車なんてのは複雑性の極みで、過渡期の産物だ。ガソリンエンジンは必要悪なのだ。
これが今後も主流で居続けることはない。ガソリン車とEVの中間存在でしかない。まだ、水素電池車の方が未来があるし、ニッサンのe-powerの方が優れている。
というのも、e-powerは電気の入手が容易である特性を存分に利用している。
ガソリンエンジンを単なる発電機として使っている。
いちいち切り替えたり、再充電したりするような美しくない複雑な処理は要らない。原理的には、ガソリンエンジンをバッテリーに替えればe-powerは単なるEVになるといえる(実際はそこまで簡単ではないにせよ)。
EVへの過渡期の産物というなら、こっちが本道だろう。
かつて、電動工具は100VAC駆動が主流だった。
当時のバッテリーではとてもトルクが確保できなかった。草刈り機に至っては内燃機関だった。灯油エンジンでないと力不足だった。チェンソーもそうだ。
しかも最初の頃のリチウムイオン電池は危険度が高く、トヨタはプリウスに搭載しなかったが、ニッサンはリーフはその問題をクリアし、リチウムイオン電池を搭載した。
電動工具のマキタもいち早くリチウムイオン電池に切り替え、覇権を得た。
いまではバッテリー駆動のチェンソーもある。
ちょっと信じられないが、あるのだ。ただ値段が高い。
さらに重要なトピックは半導体化である。EVもパワー半導体が電池と同じくらい明暗を握っているが、電工具も半導体制御のブラシレスモーターによって、電気モーターもメンテナンスフリーを実現した。
EVがこの世に現れてから200年近いが、電池問題はいまだもって解決していない。
だからまだハイブリットが幅をきかせるのはわかる。しかし、ハイブリッドが復権することはない。電池は着実に進化しているからだ。
全固体電池が実用化したとき、電池問題は解決する。
それがいつになるかはわからないが、いずれは重機も大型トラックもEV化するだろう。
チェンソーや草刈り機がバッテリー駆動になったのとおなじだ。いまでさえ路線バスならEV化しているものもある。
20年前にチェンソーがバッテリーで動くなんていったら「アホ」と言われただろうし、バッテリーで100gのクァッドコプターが10分飛ぶといえば、「馬鹿」呼ばわりされただろう。あんなことはあり得ない、と。
そもそもEVはエコではないし、エコかどうかは問題じゃない。
なぜかそういう売り方をしたのが問題だ。
エコではないからEVシフトは終わった、というのが原理的に間違いなのだ。
エコのためにEVに乗ろう! とか思ってたんか? とききたい。そんなんハリウッドセレブだけだろ。
ランニングコストや操作性、機構の単純さからくる故障の少なさ、自宅でも充電できる利便性などEVがガソリン車に勝ることは多い。
ただ、「充電時間」と「リチウムイオン電池の性能」の問題がある。EVが高価になってしまうのも電池のせいだ。
急速充電技術と安全かつ安い電池さえあればガソリン車にのる義理はない。
最近車を買おうと思ったがハイブリッドにすると60万とか高くなるので、アホ臭く、ガソリン一択であった。燃費も10年以上のって回収できる水準だし、本体が安いに越したことはない。
EVもそうだろう?
エコとか関係ない。
高いから買わない。
もし、ガソリン車よりもEV車が安ければ瞬く間に普及する。
T型の普及と並行してガススタンドが設置されていったように、EV車が普及すれば、充電スタンドも増えていく(そこで儲けようとするやつがいっぱいでてくるから)。
私はハイブリッドを買わない。
高いからだ! みんなそうじゃないか? 安いほうがいいだろう。
そして、電池問題さえ解決すればEVは劇的に安くなる。
たとえば、電動モーターのリチウムイオン電池搭載のラジコンは5000円だが、これがガソリンエンジンだとどうなる??
そう。本来はそういうことのはずなのだ。
実際、ガソリンエンジンなどガラパゴスなエンジンで小型自動車以外ではほぼ使用されない(発電機もあるかもしれないが、小型に限る)。
インバータの発展(パワー半導体)とともに、ポータブルバッテリーとソーラーにこれらも置き換わるだろう。