私は頼りない人間なので、相談されることはほとんどない。
しかし、いざ相談に乗ると、まあ、うけはいい。
理由はわかっている。私は否定しないからだ。
よく、相談している人間に対して、否定語をたくさん使う人がいるが、私はしない。なるたけしない。
だって、否定して何の意味があるのだろう?
〇〇したから駄目だったんだ。とか言い出す奴が多いが、相談に来た時点で過去を否定しても意味ない。
次は〇〇したらいいですね、でいいんだ。
日頃から、日常会話をきいていると、否定語ばかりの人間が多い。
なんでそんなに否定したいの? と思う。
私はあまり否定しない。
否定されることはいい気分ではないし、重要なこと以外否定しなくてもなーんも問題は起きない。
たとえば、昨日食ったのがカレーでもラーメンでもどうでもいい。
しかし、そういうどうでもいいことを、カレーじゃない! とか言って強く否定する人が多い。
私自身が否定語が嫌いなのだ。
しかし、ブログ上では色々叩きまくっているじゃないか? って。
そうだ。
思想信条を言うときは、もう気に入らないものは叩く叩く。
で、この辺が普通の人は逆らしく、意外と叩かないのだ。
私が自民党を叩きまくると、え・・・なんでそこまで・・・と反応をされる。
いや、あんたが会社のお局を叩きに叩く方がおかしいとおもうね、と私は思うが。
それも自民党は権力者だから、叩いてもいいと私は思う。しかし、お局はただの個人だ。気に入らなくても叩くのはほどほどがよろしい。
が、芸能人への過度な叩きを見るに、ほんと、否定するのがみんな大好きで、その否定がマジどうでもいいことばかりなのが辟易する。
まあ、死にたいという相談を受けたとしよう。
私は、死にたいなら死ねばいいと思うよというだろう。
向こうは止めて欲しいのだろうけど、いきなり、死ぬなんて言うな! とか言ってもしょうがない。
死にたいという気持ち自体はあるんだから、否定語を使ったらそこを否定することになるわけ。
どうせ相談に来ている以上死ぬ気なんてないから、肯定的に受け入れればいい。
人は肯定されるとうれしくなるから。
それが自殺の肯定だとしても。
うれしくなった人間が、死ぬはずないだろう?