都会はどうだか知らないが、田舎には防災無線というやつがある。
んで、この防災無線が、毎日毎日、今日のコロナの人数を発表するのだが、一体全体、今日市内で発生したコロナ患者数や、休校のクラス数を知って、一体全体何になるというのか。
ずっと疑問である。
正直、こんなことをしたところで、いいことは何もない。
数が分かったところでまず何もできないし、コロナ患者数を知りたいという欲求自体が出歯亀的な下劣な精神構造にすぎないし、そもそも、気が滅入るニュースではないか。
日々の生活を陰鬱にするだけで、いいことは何もない。ニュースとは違って、毎日毎日、こっちが望むと望まないに関わらず放送するんだから、タチが悪い。もちろん、音量オフやコンセントを抜いてもいいが、それをやったら肝心の「防災」情報がきけない。
防災無線のせいで、病んだやつ、特に一人暮らしの老人なんて気が消沈して、早死にするのではないか。とすら思う。無意味なことをして、仕事した気になるなよ公務員。
インド人には通じぬ
これまで日本政府は。ODAだの円借款だので、途上国に支援してきたが、実体としては、日本のゼネコンや土木会社が現地で建設するだけで、現地にはほとんど金が落ちず、事実上、日本企業が儲かるだけであった。
早い話、途上国の発展のためという低金利の円借款やODAを言い訳にしつつ、「おともだち」を儲からせるのが真相だった。現代日本人は気づいていると思うが、日本政府が外国のために無償でやるはずもなく、「おともだち」が儲かるかどうかで政策の多くが決められているのはご存じのとおりである。
ちなみにこの手法、中国人が学び、アフリカで実践している。
これを中国の侵略だと騒ぐ馬鹿な右翼がいるが、日本がやってきたことと同じだ。結果としてアフリカに、日本企業の建てた巨大なインフラだけがあって、現地には金も技術も落ちず、結局何も発展しないということになっている。多くの灌漑施設が無駄になっているのだ。
しかし、この記事を読むとインド人も馬鹿にして、インドでも同様の手法を試そうとしたようだが、インド人にいっぱいくわされたな、というのが私の感想だ。
工費が嵩むことを理由にインド企業に変更することで、日本に資金が還流することを防止できる。インドにちゃんと金が落ちるのだ。
高架にして、費用も日本持ちというのは、どうせ、適当な契約書を交わした日本側の落ち度だろう。
インド人はロシアから、誰も買わなくなった原油を安く買って、加工してEUに売っているような「食えない連中」だぞ。馬鹿なアフリカ人と一緒に考えるのが間違いだ。
そういえば同じようなことがあった。ベトナムに原発を売り込んだやつだ。ニントゥアン第二原子力発電所計画は、中止された。
日本人政治家たちは、自分たちがそうであるので、袖の下さえ渡せば、馬鹿なベトナム人は喜んで原発を建てると思っていたらしい。馬鹿はおまえらである。金で魂を売るのは日本人だけと理解した方がいい。
また食品偽装である
また食品偽装である。
まあ、昔からだろう。今に始まったことじゃない。
なにせ、これまでも食品偽装はいっぱいあったのに、抜本的な改革もなにもせずにきたんだから。
それに日本は偽装大国かどうか知らないが、隠蔽大国である。
これだけは世界一だと間違いなく言える。
というのも、イギリスの植民地での悪行や、ドイツのナチスの惨劇が結構はっきりと解明されているのは、簡単な話で、文書が残っているのだ。
そう、隠蔽されていないのだ。そら燃やしたかもしれないが、けっこうたくさん残っている。
一方、日本で戦時中の資料を見つけるのは難しい。
かなり困難を極め、明治時代の方が見つかりやすいとまで言われる始末だ。Nスペでもだいたい外国で写しが見つかるが、原本はない。完膚なきまでに焼いたからだ。
現在でも、デジタル化されているのに、「見つからない」とか平気でうそを言う。
ウソではないかもしれないが、アーカイヴもせずに、文書保存期限5年だからとかいってストレージから削除しているんだろう。なんでそんなことをするのか?
別に期限がすぎても保存しておけばいいじゃないか。
そらね、都合が悪いからよ。
数キロバイトしかないデータを消すメリットはそこにしかない。
本当に隠蔽体質は世界一だと思う。
ちなみに二位は朝鮮人で、あそこも碌な資料がない。
朝鮮戦争で焼けたせいもあるが、日本と同じで近代になっても「公文書」という概念がなかった。ましてや、それを「保存する」という考えもなかった。
だから、3000万人もいたはずの日本の江戸時代に公文書館はなかった。
大名によっては、つくっていたかもしれないが、それは例外だ。
中国人は紫禁城に膨大な書庫があったり、秦時代の膨大な公文書が発見されたりしていて、公文書という概念を知りえないはずがないのだが、日朝はこれを無視し、支配に有用な戸籍だけは絶対視して導入した。
そして、支配者に都合のいい戸籍はよく残っていて、飛鳥時代のものもあるのだ。一方、飛鳥時代の公文書はないに等しい。
アホらし、である。もしかすると、そもそも古代からずっと「口頭決裁」で文書がなかったのかもしれない。
そう考えると、文書主義がこの国ではまともに機能してないことになる。
すると、論理で支配できない。当然のように、属人的で、おともだち支配になっていく。
その割には文書が大好きなんだよね。無駄に文書が多い。
でもだいたいその内容は必要なの? それってものが多い。戸籍と住民票が二つある必要はどこにもないし、そんな国、日本だけである。
まあ、政府が好きな文書は「責任逃れ文書」であって、政府の統計資料なんかはすぐになくなるんだけどね。
感情、道理、論理、道徳、快楽の五つのうち、どれを重視するか
感情、道理、論理、道徳、快楽の五つのうち、どれを重視するか。
イヌが虐待されていて、
感情→「可哀想! やめて!」
道理→「イヌが何かしたのか? していないのならば、虐待すべきではない。したのならば、多少の躾けは必要だ」
論理→「理由の如何にかかわらず、動物虐待は法律に違反しますよ? 法を犯す理由はなんですか?」
道徳→「動物を無意味に虐待することは許されない!」
快楽→「(イヌを助けてヒーローにでもなるか・・・)やめろ!」
私は「道理」型だ。ただ、この道理型は状況いかんで、道徳型と論理型との区別がつきづらい。
ただ、道理型が重視するのは「筋が通っているかどうか」につきる。
だから、論理破綻は筋が通らないから嫌いだし、かといって、杓子定規なものは人間感情を考慮しないのでやはり筋が通らない。筋が通るとは、彼我の言い分や状況を鑑みたうえで判断されることだ。だから、日ごろの行いとかも重視する。
普段説教ばかりしているくせに、自分がされるときく耳をもたないやつは筋が通っていないから嫌いだ。
仮想通貨とポンジスキーム
ビルゲイツはデジタル資産に否定的だそうだが、そうだろうな、と思う。
当時、OSは虚業だと言われたが、現在では完全な実業である。というか、当時もハードウェアだけではどうにもならんので、OSは虚業ではなかった。
GAFAMにしても、Googleは一応Youtubeなどのプラットフォーマーで虚業ともいいがたく、Appleはハードも売っていて実業、Amazonも小売店でありAWSもどっちも実業。Microsoftはいわずもがな実業である。
虚業なのはFacebookだけで、Facebookは10年後にはなくなっていても別に驚かない。代替えはいくらでもあるからだ。
ゆえにVRに強く投資しているのだと思われる。
デジタル資産というのは「虚」である。ビルゲイツは「虚」の事業をしたことはない。いやまあ、MSはテレポートの研究をしていたけども。
というのも、インターネットには中枢がないとか、ブロックチェーンは中央集権的ではないとか、そういうたわごとをビルゲイツは一蹴しているからこそ、否定的なのだ。
つまりね、デジタル資産ってのは結局ヴェンダーの匙加減でどうにでもなるのだ。
インターネットも物理的には中枢があって、DNSサーバーをいじくればどうにでもなるし、仮想通貨にしても、結局換金所という銀行と同様の存在が必要なのだ。なにもフリーではない。
ゲイツ氏はそれこそ「ヴェンダーの匙加減」の中枢にいたのだ。
また、現在の通貨と異なり、仮想通貨は発行の自由度が恐ろしく低いし、アメリカの軍事力という担保がある。かつては金が担保だった。
ゲイツ氏はテッククランチ主催の会議に参加し、「サルの高価なデジタル画像が世界を大いに向上させるのは明らかだ」と皮肉った。
そう、デジタル画像は世界を大いに向上「させない」。ゲイツ氏の皮肉は的を射すぎている。さすがだ。
NFTは単純に投機目的以外での使い道がない。
ブロックチェーン技術自体は、エストニアのような使い方もできるが、ちゃんと理解していない奴が多く、富士フイルムが在庫管理にブロックチェーンを使うという意味不明な政策を始めた。馬鹿だと思った。
普通にデータサーバーでいいだろうに・・・。トランザクションを管理するほうが楽だと思うよ。
ブロックチェーンは無駄に計算量増やすから。
まあ、NFTが無価値なのは、NFTと紐付けされたデジタル画像に対して「価値」を感じているやつがいないってことだ。
そういうのは「価値」がない、というのだ。
猿の画像自体は誰も欲しくはない。
原理的に、うんこの画像でもいいからだ。うんこと兌換可能という時点で虚妄だ。考えてみて欲しい。現実で、バナナとうんこを交換するか??
しかし、「金儲け」のために欲しい。これでは、金儲けできなくった瞬間、価値はゼロになるので、「潜在的な価値はゼロ」と見なしていい。
一方、日本のバブル期に、投機目的で世界中の絵画の値段があがったが、バブル崩壊後も、ゼロにはならない。これは絵画それ自体を欲しい人がいて、「潜在的に価値がある」からだ。
この価値がある/ない、は「現在の」と「潜在的な」というのと二つの意味がある。
たとえば、Windowsを誰も使わなくなっても、Windowsのバイナリー自体は無価値にならない。
これは書籍の価値がゼロにならないのと同じだ。現在は紙くずのように扱われるベストセラー本も、100年後にはそこそこ価値がでてくる。なぜなら、100年前の風俗を知ることができる資料的価値が生まれるのだ。
同様の理由でWindowsのバイナリーは無価値にはならない。
つまり、猿の画像自体は無価値だが、NFTに関する資料、ログには一定の価値が見込める。これには潜在的価値がある。しかし、投機目的にNFTを使っている連中は、こちらに価値を見出さないだろう。
ゴールドラッシュで一番儲かったのはリーバイスだと言われている。
このNFT界隈でも、一番儲かっているのは誰だろうね???
あと、勘違いしがちなのは、国家の権力というのは思った以上に強大だ、ということ。
ウィキリークスなんかもまたたくまにつぶされたのは、まあ、すべての国家が協調してつぶすよね? って話だし、「すべての国家に都合が悪いもの」はまず、流行らないよ。だから仮想通貨が流行ることは「絶対に」ない。
なぜなら、仮想通貨がどんなに国境を超えるといおうが、すべての国家が協調して法整備すればおしまいだからね。地球上じゃあどうにもできない。月か火星にでもサーバー置くしかないね。
国家の強大さというのは、それが通信インフラもないような古代からそうだった。
たとえば、日本。
前方後円墳というのは日本中で見つかるが、もともとは畿内の墓制だった。これが畿内権力とともに日本中にひろがる。中国でも、龍を象った出土品がある時期から全土で見つかるようになり、殷周といった中原都市国家の強大な影響をうかがわせる。
ラテン語は元々イタリアの小さな都市でしか喋られていない言葉だったが、ローマの拡大とともに広まり、イベリアやフランス、ルーマニアといったほかの民族の言語を書き換えてしまった。これはラテン語が喋れないとローマ市民と見なされず、就労や商売に不利だったからである。
古代でさえそうだ。
くだって江戸時代、鶴を農民が食ったというので代官所へ報告した話がある。
んなもん、せんでもいいだろ。どうせわからんと思うが、法律違反なので、一応報告しないといけない、というわけだ。現代と違い、ネットも写真もないし、証拠が残るわけないのに、だ。
国家の羈束の例はほかにもいくらでもある。
明治維新で、洋装化を進めて、ものの数年で都市部は洋装化されるし、軍隊式教練によって、日本人は歩行方法すら変わってしまう。
現在の歩き方は西洋歩きで、和装には向かない。なぜすぐに浴衣がはだけるのかというと、本来の歩き方をしていないから。
また、一番いい例は戦争だ。国家が殺せと命じれば、この世で一番忌まれる行為であるべき殺人を実行してしまうのだ。
だから、仮想通貨が絶対一般化しないと断言できる一つの理由は、「仮想通貨に対して国家が利益を得る箇所」がないことだ。せいぜい、雑所得としての課税くらいだ。
また、マイニングの性質上、仮想通貨は原理的に、アーリーアダプターが得をするようになっている。
かたや、現実の通貨はそういうわけではなく、特に先行者が得をするとは限らないばかりか、利率とインフレ率の兼ね合いでは、アーリーアダプターが損をする可能性もある。
仮想通貨はそういった意味では、ポンジスキームであるといえる。ねずみ講も、確かに先行者はペイするばかりか、ちゃんと儲かるのだ。
仮想通貨は原理的にポンジスキームであると断言できる。