ネットのリアルタイムイベント

 最近理解できないもののひとつに、ネットのリアルタイムイベントがある。


 どういうことか。


 いわゆるオンラインライブとか、動画配信というやつだ。おっかけ視聴はできるものの、通常のアップロードした動画と異なり、視聴制限があり、一週間程度しか見れなかったり、場合によってはリアルタイムでしか見れなかったりする。チケットすら売り出されるし、視聴者の数に制限があったりする(サーバースペック上の物理的な制限ではない)。

 

 意味がわからない。

 
 ビデオカメラで撮影している時点で、収録と同じじゃないか。ライブのあとに販売されるBlu-rayと同じじゃないか。


 実際に足を運んでみるライブとは違うじゃないか。ビデオで撮って、自分ちで見るなら、収録のBlu-rayを見るのと同じだし、価格も普通のライブと同じ価格だしで、まったく何がいいのかわからないが、人気らしい。普通のライブと変わらない動員があるようだ。
 コロナのせいで、ますます盛況なようだが、私には理解できない。

 

 ニコ生のころから配信は理解できなかったが、YouTuberが盛況で、世の中配信だらけになった。わざわざ指定された時刻に視聴する意味は何なんだ? 投げ銭のため? コメントのため?


 どうせまとめ読みするんだし、リアルタイムでコメントすると何か楽しいのだろうか? ニコニコのコメントはリアルタイムではないから、あとから参加した人もコメントできる。リアルタイムイベントはそのとき参加しないとコメントにも参加できないし、「クローズド」だ。

 

 ネットやデジタルの利便性を自ら殺しに来る利点って何なんだ?
 まあ、レアリティであろう。

 希少性を高め、チケットや投げ銭の価格を吊り上げる。でもやっぱり、私には理解できない。数千円払うなら、ちゃんと「生」で見たい。音も違う。

 なんで、家の液晶としょぼいオーディオシステムで見ないといけないのか?

 

 しかし、こういうのがこれからも盛況になっていくのだろう。

 

 最近ではブロックチェーンを使ったコピー不可なデジタルメディアも出てきた。デジタルの利点である無限回のコピーと無劣化性を殺し、価値を高めようとするのだ。でも、いくら数に限りがあっても、デジタルデータと紙の本では違うし、数に限りがあるなら、私は本が欲しい。

 

 電子書籍も紙媒体の1/3以下じゃないと買う価値がないと思うが、ほとんど同じ値段で売っている。
 これも理解できない。
 コストは圧倒的にかかっていないわけだし、流通費もないんだから、出版社と電子書籍プラットフォーマーでわけあっても、1/4でも利益は出ると思う。万引きのリスクもない。

 

 私はデジタル世代ではない。狭間だ。
 高校生の頃も携帯電話をもっていないやつはそれなりにいたわけだし、フイルムカメラがばりばり現役だったし、TVはブラウン管で、ケーブルは三色コードだった(ファミコンはアンテナにつないでいた気がする)。

 ネットも加入していない家庭は結構あった。

 

 ただ、配信が流行している理由のひとつは、受け手ではなく作り手側にメリットがある。動画編集しなくてよく、投げ銭も期待でき、だらだらとゲームでもやってりゃいい。

 明らかにローコストだ。
 ローコストなのだが、「需要がない」なら流行もしない。やはり、需要があるのだ。

麻薬の未来

 フィラデルフィアは旧首都にもかかわらず、ゾンビシティーなどと呼ばれ、麻薬中毒者だらけなんだそうだ。

 

 でも、私は映像見る限り、やっぱりアメリカは「豊かな国」だなとしか思えなかった。
 「麻薬中毒者さえ」小奇麗な身なりをしている。スマホを弄っている。

 

 中国の農村やアフリカのスラムのような悲壮感はない。

 絶望感はあっても、そこに悲壮感がないのは、中国やアフリカの貧民には、その前途へ開かれた道がそもそもなく、生まれたときからそうだったし、死ぬまでもそうであろうなのと違い、アメリカではいくらでも「本来なら」まっとうに生きれたはずだ、と私が思うからだろう(「現代アメリカ」に於ける黒人差別は「甘え」だとすら思う)。彼らの存在を悲しいとは思えないのだ。

 

 自業自得に見える。


 だって、豊かで自由な国に生まれたのだから。

 自由と成功が国境や戸籍、人種(アメリカには人種差別はあるが民族差別がもっとひどい国はいくらでもある)によって隔たれたりしていないのだ。

 

 ただ異様な光景ではある。麻薬中毒者が白昼堂々町中を歩いているなんて、日本の都市部ではありえない話だ。
 まあ、いずれ日本も貧富の差が広がればそうなるだろう。

 

 結局のところ、彼ら(アメリカの麻薬中毒者たち)は麻薬を「買うことができる」。
 麻薬はコーヒーと同じで、発展途上国から先進国への輸出品であることが多い。コーヒーの産地の農奴(のような農民)たちは自分たちでコーヒーを飲めることはほとんどない。最悪、その実が何の実かすら理解していない。
 つまり、麻薬を常用できる時点で、それは「豊かな証拠」に他ならない。

 

 本当の貧民は麻薬に現実逃避するだけの「金銭」を持ちえない。
 だからアメリカがいかに貧富の差は大きいといっても、所詮はアメリカ「国内」の話にすぎないし、中国やナイジェリア、インドのように同じ国なのに世界有数の豊かな都市とごみ溜めのような農村が同居していない(一部のインディアンだけはそうかもしれないが)。

 

 戦後、日本はアメリカの流行が何年か遅れてやってくることを繰り返してきた。
 麻薬もそうなるだろう。
 なにせ、日本人がいかに貧乏になろうとも、発展途上国に転落することはない。これは西ヨーロッパ諸国がどんなに落ちぶれても途上国にならないのと一緒だ。


 なぜか。


 西ヨーロッパは世界システムを握っているからだ。みかじめ料でいくらでも儲けられる(アップルやグーグルのプラットフォーマーが暴利をむさぼるシステムと同じ)。だから転落はしない。

 

 日本も同じだ。
 二流国になるのは時間の問題(先進国の座から落ちること)だが、途上国にはならない。

 

 ゆえに、日本の貧民たちは麻薬を買うことができる。真に豊かな人間と真に貧乏な人間は麻薬をやらない(一部はするかもしれないが全体としては小さい)。
 世界規模で見れば金持、国内では貧民、という層がこれから現実逃避の意味を込めて、麻薬の常習を始めるだろう。

 これは遠くない未来だと、私は思っている。

 

 ヘアヌード解禁と同じで、そのうち事実上の解禁状態になるだろう。
 アメリカとは人口が違うが、麻薬中毒者で毎年10万近くが死ぬという。日本もそのうち、麻薬で死ぬ人間が自動車事故で死ぬ人間を上回るだろう。

 

 麻薬は「緩慢な自殺」でもある。
 できれば死にたい、そういう層は増えているような気がする。

日経平均株価というゴミ

  日経平均株価のあがったの、あがってないのをニュースは報道し、あたかもそれが日本経済のバロメーターであるかのように皆思っているが、実際のところ、「参考」程度の意味合いしかない。

 

 というのも、恣意的な操作データだからだ。今度、日経平均株価の銘柄を変更するらしいが、このように「銘柄が変更できる」ということは、簡単に平均株価を操作できることを意味する。

 

 アメリカのSP500のように、単純に上位500社の平均なのではなく、「恣意的に選ばれた225銘柄」の平均だ。今回変更されるのは、任天堂キーエンスが追加されるらしい。

 世界に名をはすキーエンスが入っていなかった時点で、おかしな話だが、任天堂も今回のコロナで爆益なので、まあ、明らかに平均株価のつり上げとしか思えない。

 また菅が退任し、総理が変わろうというタイミングで、だ。

 意図が見え見えで頭が痛くなる。

 

 統計というのは、ある程度の母数がなくてはならない。SP500の半分しかない上に、東証だけで2000銘柄あるのに、そのうち225。なぜ2000銘柄すべての平均にしないのだろうか?

 答えは単純、平均値がさがるからだ。

 

 そもそも論としては、その2000ですら、日本全国に何万と言う株式会社が存在する以上、「日本経済のバロメーター」としては「参考値」にしかならない。

 「大企業の経済指標」ということならほぼ正しいが、それでも225では「参考値」だと思う。あまりにも母数が少なすぎる。あてにならない。「大企業の経済指標」としても、2000社の平均値とすべきだ。

 

 が、株がどうしたと熱く語る人間ですら、全国の株式会社の平均株価だと思っている人もいて、頭が痛い。

貴乃花は人を見る目がなかった

 貴景勝貴ノ岩の暴行問題もそうだったが、今度の貴源治大麻所持を見てそう思った。貴源治自体はいまは別の部屋だが、貴乃花が入門させたようなものだし、また責任が追及されるのだろう。

 

 相撲界は、特に相撲協会は昔から貴乃花を発言力のある立場から追放したかったわけだが、暴行問題でそれを果たした。今回で、ほぼ完全に相撲界から消されそうな気もする(発言力が0になるという意味)。

 

 相撲界は天竜の時代から少しも変わっていない。

 それを貴乃花は改革しようとしたわけだが、それは彼の立場を悪くした。しかし、腐っても鯛。元人気横綱には「大衆の支持」があり、そう簡単に相撲界から追放できなかった。

 

 が、不祥事続きで、相撲協会にとっては渡りに船だろう。きっと喜んでいるに違いない。

デジタル庁

 多分、デジタル庁自体が、マイナンバーカードみたいに「何のためにあるのかよくわからない何か」になると思う。

 そうならないように民間から登用するらしいが、多分、碌な人材はこない。

 

 そもそも優秀なITエンジニアは日本にいない。そういうやつはアメリカか中国へ行って、帰ってこない。帰ってきたとしても、自らビジネスを始めて、行政に関与する気はないだろう。

 また日本にいる優秀なやつも、所詮行政府では600万くらいの給与だ。どう考えても来ない。

 

 こういうと、世の中金だけじゃない! 日本国のためにと愛国心あふれた人材がくるはず! という人がある。

 お花畑である。

 

 デジタル庁にも、給与とは無関係に優秀な奴も恐らくは、やってくる。

 しかしそういうやつは愛国心からではなく、「政府とのコネ」が目当てだ。つまり、技術者としてやってくるのではなく、目当てはコネだ。うまいコネが得られれば、安月給でもペイできるというもの。

 

 早い話、どう転んでもまともなやつはこない。

 

 万が一きたとしても、結局は行政のしがらみに辟易とし、辞めるだろう。これは公務員にはよくあることで、志の高いやつも一定数いるのだが、結局、何もできない。しがらみを取っ払い、何かをするためには、行政長になるしかない。

 しかし、それは遠い道のりであることが多い。志だけで行政長になるのは難しい。

日本は生きやすい国

 ナイジェリアのボコハラムの話をきくと、アフリカは後進国だと思う日本人が大半だが、ナイジェリアは21世紀後半にはGDPトップ10に入ると目されているし、実際そうなるだろう。


 ボコハラムみたいなのがいるのに? と思うのは、日本人だからだ。


 貧困の差、治安の差、というのはどこの国でも地域によって雲泥の違いがあるものだ。日本がないのが異常なのだ。


 アメリカも、貧乏人はとんでもなく貧乏だ。一方、一部の金持ちは国家予算級の財産を持っている。

 中国なんかもそうだ。雲南の奥地と沿岸部の大都市では別の国のようなものだ。山岳部ではいまも女性は民族衣装を着て、伝統家屋に電気も通じていない場所に住んでいたりする。


 ヨーロッパもそうだ。

 イギリスやフランス、ドイツあたりは日本と同じく、さほど貧困の差がないし、少数民族などいないが、スペインやイタリアになると話が違ってくる。貧乏人はバラックのような家に住んでいるし、治安の悪い地域はすこぶる悪い。


 治安で言うと、アメリカの場合、お金持ちの住む町の治安は世界で一番安全だ(日本よりもずっとだ)。

 しかし、貧乏人の町はアフリカの治安の悪い都市並みに悪い場合さえある。

 逆に中国は、アメリカほど治安の差はない。これは共産党が強権をもっているからだ。独裁国家は実は全国的に治安がいい。


 一方、日本の場合、治安の地域差がほぼないし、貧乏人と金持ちの軒先が隣り合っていることも珍しくない。田園調布とかそういう金持ちだけの街もあるが、全国的には多くない。


 また、日本は世界で一番生活保護が充実している。

 なにせ「現金」を渡しているのだ。最低限の生活のためなら「現物支給」が妥当だと思うが、そうはなっていない(後述するがこれには理由がある)。しかも、あろうことか低所得者層の所得よりも生活保護費のほうが高い。

 

 給付額のような高さと簡単な受給条件。これが日本の治安がよい理由であり、貧乏人が金持ちの家の隣に住んでいる理由である。市営住宅は発展の結果、町の中にあったりすることが多いからだ。そして市営住宅はシングルマザーと貧乏老人の巣窟である。


 通常、所得を得ている人間の収入が生活保護を受けている人間の保護費を下回るということは世界的にはあまりない(当たり前の話だが)。イギリスの場合、子供手当てが大きく、これで高収入になるケースはあるが、生活保護ではない。


 言ってはいけないことではあるが、これは肌感覚で皆がわかっていることだ。収入のない人間はろくでもない人間である。犯罪者またはその予備軍である。

 

 だから、そういった世帯に保護費として金を渡し、その金でパチンコにいかせ、酒を買わせ(女もだ)、町の中の広い市営住宅に住ませる。こうしておけば、彼は満足し暴力事件や窃盗事件を起こしにくくなる。

 

 そして、育児ノイローゼになると虐待、最悪の場合、子殺しをするかもしれないので、優先的に保育園に入れる。もちろんタダだ。結果的には低所得者層の子供ばかりが増えているが、これはこれで問題になるだろう(学力低下は学力の低い遺伝の影響があるかもしれない)。


 だから、日本は低レベルの人間には非常に住みやすい国だ。犯罪者予備軍に中流並の生活をさせることで治安を保っている。これをよしとするかしないかは価値観による。